YNGWIE MALMSTEEN イングヴェイ・マルムスティーン

Written by おぢさん








  Rising Force
  1984年 ポリドール





  Marching Out
  1985年 ポリドール


















  Trilogy
  1986年 ポリドール




 Steeler/Steeler
  1983年 Shrapnel

























  Odyssey
  1988年 USMジャパン




  Eclipse
  1990年 ユニバーサルジャパン




 Fire & Ice
  1992年 WEAジャパン




  Seventh Sign
  1994年 ポニーキャニオン




  Magnum Opus
  1995年 ポニーキャニオン




  Archemy
  1999年 Spitfire



  War To End All Wars
  2000年 Spitfire




  Attack
  2002年 Epic/Red Ink




 G3 Live
  2004年 
Sony Music Japan

初期三部作:「ネオ・クラシカル」の火点け役

アルカトラスを脱退したイングヴェイは、84年11月にソロ第1弾『ライジング・フォース』を発表した。あくまでもギターが主役のアルバムである。全8曲のうち2曲だけにボーカルが入っているが、あたかもリード・ギターの「間奏」のような位置付けである。この『ライジング・フォース』は、当初はギター・プレイに関心の高い日本向けのソロ・プロジェクトであったが、その後アメリカでもリリースを望む声が上がり、日本発売から数か月遅れて85年3月に発売された。ギター・シーンに与えた影響の大きさでは、75年のジェフ・ベック『ブロウ・バイ・ブロウ』に匹敵する、非常に存在感の大きいアルバムである。

本作に収録されている1.『ブラック・スター』、2.『ファー・ビヨンド・ザ・サン』、5.『イカルスの夢 組曲作品4』の3曲は、今でもイングヴェイのライブでの定番曲となっている。89年発表の『トライアル・バイ・ファイアー:ライブ・イン・レニングラード』の頃から、大きく2つの演奏パターンが定着している。一つは、パガニーニの『ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調』から『イカルスの夢 組曲作品4』の導入部分(アルビノーニの『アダージョ』)、そして『ファー・ビヨンド・ザ・サン』へと突進するパターン。もう一つは、自由なクラシック・ギター・ソロからバッハの『G線上のアリア』、そして『ブラック・スター』が絶叫するというパターン。

後者のパターンでは、立奏スタンド(「パフォーマー・スタンド」とも呼ぶ)に固定されたガット弦ギターを優雅に奏で、『ブラック・スター』の前奏部分が終わるや、ストラップで吊るして背後に隠し持っていたエレキ・ギターに瞬時に持ち替えるという演出が名物になっている。また『イカルスの夢 組曲作品4』サビの部分は、98年の『エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調「新世紀」』のメイン・テーマとして再登場している。

本作品で背後に聞こえるキーボードが、純粋な教会オルガン・サウンドであるのは、やはりディープ・パープルの影響であろうか。イングヴェイが愛用するフェンダーのストラトキャスター特有の水晶のように透明かつ甘美なギターの音と、荘厳な教会オルガン・サウンドとが、実によくマッチしている。この時代のキーボードは、母国スウェーデンから呼び寄せたヤンス・ヨハンセン。兄のアンダース・ヨハンセンは、次作からドラムに参加する。

続いて85年に発表された『マーチング・アウト』は、いわゆる「ネオ・クラシカル」系ヘヴィ・メタルの初期代表作の一つである。4.『ディサイプルズ・オブ・ヘル』 や5.『アイ・アム・ア・ヴァイキング』等、ドラマティックな展開の(いささかおどろおどろしい)楽曲が多く収録されている。この頃から、トニー・マカパイン、ヴィニー・ムーア、クリス・インペリテリ等の「ネオ・クラシカル」系ヘヴィ・メタルのフォロワーが、雨後の竹の子のように次々と登場し、世は「速弾き」ブームに突入する。

本作品の1.『アイル・シー・ザ・ライト・トゥナイト』は、イングヴェイのライブでは第2回めのアンコール曲として演奏されることが多い。最初のアンコールでは、ジミ・ヘンドリックスの『パープル・ヘイズ』か『スパニッシュ・キャッスル・マジック』、或いはディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』か『バーン』といった、往年の名曲をイングヴェイ流に演奏して会場を沸かせ、そしてこの『アイル・シー・ザ・ライト・トゥナイト』で、聴衆の全身に鼓動が残ったままライブを締め括るのである。

イングヴェイは、同アルバムの発表に絡めて再度来日する。同年1月25日に東京・中野サンプラザで行なわれたライブの模様は、『イングヴェイ・マルムスティーンズ・ライジング・フォース・ライブ ‘85』と題するライブ・ビデオに収録されている。同ライブでは、アルカトラス時代の3.『ジェット・トゥ・ジェット』4.『ヒロシマ・モナムール』5.『クリー・ナクリー』や、前作の1.『ブラック・スター』2.『ファー・ビヨンド・ザ・サン』も演奏している。当時のボーカルはジェフ・スコット・ソートであるが、イングヴェイは「自分が主役」とばかりにギターを弾きまくっている。

ただ、上記のビデオには大きな難点があった。ギタリストの目線を欠いた無知な編集者によって、モザイクや左右反転等の無意味な画像処理がなされていたのである。今日では、プロの実演DVDが付録された教則本は巷に数多く出回っているし、「YOU TUBE」もある便利な世の中になったが、情報に乏しい当時のギター・キッズ(筆者も含む)は、貴重な教材を台無しにされて怒りが収まらなかった。日本全国からそのようなギター・キッズの不満の声が届いたのであろうか、90年には同ライブを画像処理なしで再編集した『チェイシング・イングヴェイ/トーキョー・ライブ ‘85』が発売された。

86年には、イングヴェイ初期三部作を締め括る『トリロジー』が発表された。ボーカルは、伸びやかな高音の持主マーク・ボールズに替わった。1.『ユー・ドント・リメンバー・アイル・ネバー・フォーゲット』をはじめ、キャッチーでメロディアスな楽曲が多く収録されている。非常に完成度の高いアルバムであり、イングヴェイの名盤の一つと言える。9.『トリロジー・スーツOp:5』のテーマ部分は、第一作『ライジング・フォース』の1.『ブラック・スター』、2.『ファー・ビヨンド・ザ・サン』の2曲と並び、イングヴェイのライブで必ず演奏される「インスト御三家」となっている。

ここまでに紹介した定番曲に、(アルカトラスより前の)83年のスティーラー『スティーラー』に収められている4.『ホット・オン・ユア・ヒールズ』の導入部分で聞かれるギター・ソロ(フラメンコ調のフレーズから始まり、さんざん速弾きしまくった後、ローランド製のアナログ・ディレイ・エフェクトにより、「ギュイーン」という轟音で締め括られるお得意のソロ)を加えると、実はイングヴェイのライブの骨格は、ほぼ出来上がってしまう。

この『トリロジー』発表時には、イングヴェイはまだ22〜23歳であったことを考えると、若くして非凡な才能を存分に発揮したことが再認識できる。それだけに、周囲(特に古参のプロ・ギタリストから)の風当たりは強かったのであろう。いつの間にか、生意気で性格が悪いとか、音数は多いが歌心がないなどと、言われもないレッテルを貼られてしまう。一方で、ギター・キッズからは「王者」と崇められ、その多くがイングヴェイのように「速弾き」すること自体を目標にして、ギターを日々練習するようになる。


頑固なこだわり:保守的な革命者

ここで、イングヴェイの生い立ちについて少し触れる。イングヴェイ・マルムスティーン、より正確にはイングヴェイ・ヨハン・マルムスティーン(ミドル・ネームは、ヨハン・セバスチャン・バッハと同じく「ヨハン」)は、63年6月30日にスウェーデンのストックホルムで生まれる。画家の母親(故人)は、子供たち3人をとにかくミュージシャンにさせたくて色々な楽器を買い与えたと、イングヴェイは各ギター雑誌のインタビューで回顧している。兄(故人)も姉も楽器を演奏する、音楽一家に育ったようである。

5歳の誕生日に母からギターを贈られたイングヴェイであるが、暫くは目もくれなかった。それが、7歳の時に偶然テレビで観た「ギターを燃やす」ジミ・ヘンドリックスに感銘を受け、本格的にギターを始めたと言う。そして姉から贈られた『ファイア・ボール』を契機にディープ・パープルに傾倒し、同じく姉が聴いていたジェネシスの『トレスパス』から、バッハ的なコード進行を知るようになる。また、こちらも偶然テレビで観た、パガニーニを狂ったように弾くギドン・クレーメル(ヴァイオリニスト)から、ジミ・ヘンドリックス以来の大きな衝撃を受けたようである。

ジミ・ヘンドリックスの影響で、フェンダーのストラト・キャスターとマーシャルのアンプ(エフェクター類はほとんど使わない)にこだわり、奏でる音楽はバッハやパガニーニ等のクラシック音楽をモチーフとしている。愛車もフェラーリ(その前にはジャガーを運転していたが、87年に大事故を起こした)、時計はロレックス以外ははめないといった徹底ぶりである。80年代にギター大革命を起こしたイングヴェイは、逆説的であるが、実は非常に保守的な人物である。

偉大なアーティストには一般的に家族の影が薄いが、イングヴェイは非常に家族思いであることが、幾つかの作品から窺い知ることができる。最愛の母を喪った想いは88年『オデッセイ』の4.『ドリーミング』に、若き頃一緒にジャムった亡き兄への想いは94年『セブンス・サイン』の6.『ブラザーズ』で唄われている。前後するが、92年の『ファイア・アンド・アイス』の6.『ノー・マーシー』では、オーケストラに所属する姉のフルートが、イングヴェイのギターに色を添えている。

かつての愛妻アンバー嬢に向けては、同『セブンス・サイン』の3.『メント・トゥ・ビー』と4.『フォーエヴァー・ワン』、そして95年『マグナムー・オーパス』の5.『アイド・ダイ・ウイザウト・ユー』と11.『アンバー・ドーン』とご丁寧に4曲もラブ・ソングを創っているが、残念なことにアンバー嬢は、左記2アルバアムのヴォーカルだったマイク・ヴェセーラとの情事がきっかけとなり、離婚してしまった。

その後、エイプリル嬢と結婚したイングヴェイは、97年『フェイシング・ジ・アニマル』の5.『ライク・アン・エンジェル〜フォー・エイプリル』で彼女への愛を唄い、00年の『ウォー・トゥ・エンド・オール・ウォーズ』の7.『ミラクル・オブ・ライフ』で、長男アントニオ君(アントニオ・ヴィヴァルディの名を取った由)の誕生を祝っている。すっかり父親になったイングヴェイである。


対照的な2作:ポップさと北欧様式美

さて、初期三部作に続き88年の『オデッセイ』では、元レインボーのジョー・リン・ターナーをボーカルに迎えて制作された。そのせいか、イングヴェイの様式美を土台にポップさが加わっている。前述のジャガー運転中の自動車事故により、右手に重傷を負ったイングヴェイは、ポップなサウンドとは裏腹に、相当苦しみながら本作品をレコーディングしたようである。ギター・サウンド面では、「ワウ・ペダル」(赤ん坊が泣く声に似ているので「クライ・ベイビー」と呼ぶこともある)が、これまでになく多用されている。

この『オデッセイ』を掲げて、98年にはモスクワとレニングラード(当時はソビエト連邦)で計20回公演する。イングヴェイが幼い頃に亡き母と離婚した軍人の父が旧ソビエト連邦との橋渡しとなって、これらの公演が実現したと伝えられる。この模様は、ライブCDおよびビデオ『トライアル・バイ・ファイア:ライブ・イン・レニングラード』に収録されている。ジョー・リン・ターナーとイングヴェイ、2人のフロント・マンを中心に、舞台装置も超豪華で、実に華々しいライブであった。

しかし、イングヴェイが後日語ったところによると、いくらステージで映えるとは言え、ギター・ソロの聞かせどころで奇声を連発するようなジョー・リン・タナーにはどうしても耐えられなかったようである。やはり、王者イングヴェイのバンドに2人のフロント・マンは不要なのであろう。バンド・メンバーを一新して母国スウェーデン人だけで固めたイングヴェイは、90年に『エクリプス』を発表した。

前作のポップさとは対照的に、北欧特有のどことなく物悲しくも美しい曲が多い。当時のベースは、オーケストラでコントラバスやチェロを弾いた経歴を持つスヴァンテ・ヘリンソンであった。『エクリプス』を掲げたライブでは、スヴァンテのチェロとイングヴェイのクラシック・ギターのみのデュオ演奏もあり、この辺りからも純粋クラシック志向が垣間見られる。またキーボードのマッツ・オラウソンは、その後幾度かのメンバー・チェンジでも暫く換わることなく、イングヴェイの右腕として活躍した。


協奏組曲まで:純粋なクラシック作品に向けて

92年に発売された『ファイア・アンド・アイス』は、オリコン・チャートで洋楽アルバム第1位に輝き、日本でのイングヴェイ人気を確固たるものにしたアルバムである。バックには本物のオーケストラを入れ、前述のとおり6.『ノー・マーシー』の間奏に導入されたバッハの『バディネリ』では、実姉が奏でるフルートとの共演も聴くことができる。この頃からイングヴェイは、各ギター雑誌のインタビューに対して、「オーケストラの第1ヴァイオリン・パートをエレクトリック・ギターで演ってみたい」と口にするようになる。

キーボードのマッツ・オラウソンを除くメンバーを解雇したイングヴェイは、94年に『セブンス・サイン』を発表した。ボーカルには元ラウドネスのマイク・ヴェセーラを迎え、1.『ネヴァー・ダイ』や7.『セブンス・サイン』等のドライブ感溢れる曲からブルージーな曲まで、非常にヴァラエティに富んでおり、名盤の一つと言える。この『セブンス・サイン』を掲げて日本武道館で行なったライブは、その名も『ライブ・アット・武道館』というビデオに収録されている。

この頃に、フェンダー・ジャパンが初期イングヴェイ・モデルのストラトキャスター3機種を発売し(筆者も、そのうち1機種をすぐに購入した)、日本でのイングヴェイ人気にさらに拍車をかけた。前作に続きマイク・ヴェセーラを起用して、翌95年には『マグナム・オーパス』(「大傑作」の意味)を発表した。ファンの大きな期待に応えようとしたのか、前作から間髪を入れずに発表した本作品であるが、結果的に題名の「大傑作」には程遠く、やや物足りなさを感じる仕上がりになってしまったことが悔やまれる。

イングヴェイが過去に影響を受けたジミ・ヘンドリックス、ディープ・パープル等のアーティストの曲をイングヴェイ流にアレンジした『インスピレーション』(96年発表)や、故コージー・パウエルをドラムに迎えて話題となった『フェイシング・ジ・アニマル』(97年発表)と同時併行で、イングヴェイの長年の夢であった純粋なクラシック作品は、実現に向けて着々と準備されていたようである。98年、遂に『エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調「新世紀」』が発表された。

これは、かつてディープ・パープルやウリ・ジョン・ロート等が試みようとした「ロックとクラシックの融合」ではなく、完全に純粋なクラシック作品である。イングヴェイの言葉を借りれば、「オーケストラの第1ヴァイオリン・パートをエレクトリック・ギターで演って」いる。簡単な見分け方としては、イングヴェイの場合、イングヴェイ一人がオーケストラの中に溶け込んでいる。ドラムを含めたバンド全てをオーケストラに持ち込んではいない。驚くべきは、イングヴェイ自身が全12曲を作曲していることである。本作品は、従来のロック・ファンに加えてクラシック音楽愛好家に向けても、クラッシック専門レーベルでジャケット・デザインを変えて同時発売された。まさに王者イングヴェイの新境地となった記念すべきアルバムである。

01年6月には本作品のライブを、新日本フィルハーモニー交響楽団との共演で実現している。イングヴェイは、指揮者の竹本泰蔵氏を「コラ・パルテ(オーケストラ全体の演奏を、ソリストに合わせて指揮すること)」を理解していると大絶賛していた。その模様は、02年の『コンチェルト・ライブ・イン・ジャパン・ウィズ・新日本フィルハーモニー交響楽団』(CD・DVDとも)に収録されている。アンコールで演奏した『ファー・ビヨンド・ザ・サン』を弾いている最中に、いつものように歯で弾いたり、つい「ギター回し」をしてシールド(ギターとアンプを繋ぐケーブル)に絡まる子供のようなイングヴェイが微笑ましい。


進化し続ける王者:大好きな日本から離れるか

イングヴェイ・マルムスティーンは、まだ過去のギタリストではない。上述の『協奏組曲』発表後も、原点回帰の『アルケミー』(99年発売)、妖艶かつ攻撃的な『ウォー・トゥ・エンド・オール・ウォーズ』(00年発表)、より重厚感が増した『アタック!!』(02年発表)、時間をかけた分完成度の高い『アンリーシュ・ザ・フューリー』(05年発表)をコンスタントに制作している。振り返るにはまだ早いので、あと5年くらい経ったらこれらの作品についても位置付けを整理してみたい。

最近の傾向としては、1.ベース・パートへのこだわり、2.ジミ・ヘンドリックス的ナンバー(自身がボーカル)が増えてきたこと、3.ギター・サウンドが重厚化していること、の3点が挙げられる。1.については、ピックで弾き大胆なヴィブラートでベースを歌わせることができる上手いベーシストがなかなか見つからないため、アルバムではほとんどのベース・パートをイングヴェイ自身が弾いている。3.については賛否両論で、筆者も含めた長年のファンとしては、アルカトラス時代や初期三部作時代の、水晶のように透明かつ甘美なギター・サウンドを懐かしむ声も多い。少なくとも体型は、大幅減量して以前の貴公子のようなイングヴェイに戻りつつあるようであり、ファンとしては嬉しい限りである。

イングヴェイの音使いは突き詰めると、クラシック音楽と言うよりはフラメンコに近いと筆者は感じている。それはイングヴェイが、フリジアン・スケールと呼ばれる音使いを多用しているからである。お手近にピアノがある方は、ミから始めてファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミと、白鍵だけを先ずは弾いてみて欲しい。そして次は、ソの音をソ♯に替えて同様に続けると、これがイングヴェイが好む音使いである。いかにもフラメンコ調の響きである。ここでは詳しい説明は省くが、イングヴェイの名曲『ファー・ビヨンド・ザ・サン』のコード進行も、まさにフラメンコのコード進行である。

遡ること80年に、パコ・デ・ルシア、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリンの「スーパー・ギター・トリオ」がサンフランシスコでアコースティック・ライブを行なった。後世まで語り継がれる名曲『地中海の舞踏/広い河』の白熱の演奏風景を観て思ったことだが、例えばパコ・デ・ルシアやアル・ディ・メオラの代わりにイングヴェイがそこで演奏していたとしても、全く違和感がない。むしろ、スティーブ・ヴァイとジョー・サトリアーニと共演した『G3ライブ:ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド』(04年発表)の中で、イングヴェイ一人がやや浮いていたように思えるのは筆者だけだろうか。

84年にイングヴェイがアルカトラスを急遽脱退したため替え玉として加入し、イングヴェイが観られると思って日本公演のチケットを買った当時のギター・キッズからブーイングの洗礼を浴びたスティーブ・ヴァイであるが、皮肉なことにエンターテイナーとしては、今やイングヴェイよりもスティーブ・ヴァイの方が格が一つ上のように見えてしまう。80年代のギター・キッズが王者と崇めた「速弾き」であるが、今やギタリストの標準的奏法として定着し、テクニックを前面に誇示した「速弾き」は、むしろ「ピロピロ」等と揶揄されることもある。

イングヴェイのソロ第1作『ライジング・フォース』は、世界に先駆け日本で発売され、イングヴェイ自身もこれまでずっと日本のファンを非常に大事にしてきた。しかし最近では「癒し」ブームのせいであろうか、日本の若者はアコースティック回帰、直球ロック回帰の傾向が見られる。一方でイングヴェイは、これから経済が大きく発展しようとしている東南アジア諸国(そこでは経済水準も音楽の趣向も、約20年前の日本に近い状態)により注力し、アジア・ツアーでも株式投資ではないが、「ジャパン・パッシング(日本飛ばし)」ということも十分にあり得る。幸いなことに、筆者は東南アジアの某国に居住しているので、いずれにしてもイングヴェイの今後の進化を見続けることができる。

(おぢさん記) 2008.2