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メンバー(左上から)モーリン・タッカー Maureen Tucker ドラムス スターリング・モリソン Sterling Morrison ベース・ギター、ギター ルー・リード Lou Reed ヴォーカル、ギター ニコ Nico ヴォーカル ジョン・ケイル John Cale ベース・ギター、キーボード、ヴィオラ、ヴォーカル ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下、ヴェルヴェッツ)は、63年にニューヨークに移り、作曲家として働いていたルー・リード(Vo、G)が、イギリスから音楽を学びに来ていたジョン・ケイル(Viola、B)に出会ったことに端を発する。ふたりはスターリング・モリソン(G)、アンガス・マクリース(Ds)を迎え、65年にヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動を始める。そのバンド名は、道端に落ちていたペーパーバックのSM小説のタイトルより付けられたという。やがてマクリースが脱退、モリソンの友人の妹モーリン・タッカー(Ds)が加入して、実質オリジナル・メンバーとなる4人が集まった。 クラブ巡りやライヴ・ハウスなど、小規模ながら旺盛に活動していたヴェルヴェッツは、ある日カフェ・ビザールでライヴを見ていて感銘を受けたアンディ・ウォーホルに出会う。ウォーホルはヴェルヴェッツのプロデュースを申し出て、その一環としてモデルや歌手として活動していたニコをヴォーカルとして参加させ、デビュー・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』を67年にリリースさせる。ジャケットはウォーホルの描いた有名な「バナナ・ジャケ」で、内容はポップでありながらどこかバンド名の如くアンダーグラウンドな響きがあり、またのちに芽生えるノイジーな要素も含まれた、不朽の名盤となった。しかし当時はまったく売れず、ウォーホルは早くもバンドから手を引き、ウォーホルによって無理矢理バンドに参加させられていたような(メンバーから強い指導をされて泣いていたという)ニコも去る。その後、ニコはソロでの活動を重ね、優しくもダークな傑作を次々と生み出した。 ヴェルヴェッツが自らの音楽性を模索し、ライヴで即興演奏を重ねるごとに強めていったノイジーな要素を爆発させたのが、68年発表のセカンド・アルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』だった。前作にも垣間見られた前衛的な要素が全体を覆い、中でもインプロヴィゼイションの一部を抜粋していると言われる表題曲や、ホワイト・ノイズが混沌とした音の塊となって襲いかかる17分もの大曲「シスター・レイ」など、リードとケイルの音楽性が激しくぶつかり合い、融合を重ねた結果となる傑作となった。この時期のライヴではケイルの活躍がめざましく、ヴィオラが弦楽器にあるまじき響きを聞かせるステージは、のちのポスト・ロックやオルタナティヴ・ロックの先駆けだった。ウォーホルが関与していないため、知名度ではファーストには劣るものの、このセカンドをヴェルヴェッツのベスト・アルバムに挙げるファンも多い。しかし主導権を握っていたリードの決定により、バンドでの居場所をなくしていたケイルは脱退。リードにそっくりな面構えのダグ・ユール Doug Yule(B、Key、Vo)が加入する。ケイルは音響的な、あるいはヴォーカルもとるソロイストとして活動を始める。 ![]() 69年にはサード・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(III)』がリリース。リードの音楽性が前面に出たアコースティックで叙情的なアルバムであったが、ミックスが発売地域によって異なっていたり、マスコミの評価はいまいちだったりと、ヴェルヴェッツの方向性が曖昧になっていった。だがファンはツアーに出てもクラブやライヴ・ハウスで演奏してくれるヴェルヴェッツを支持し続け、のちにライヴ音源としてリリースされる録音もされた。ライヴでのヴェルヴェッツは、ケイルがいなくなっても混沌に満ちたステージングをこなしていた。特に代打加入したユールのオルガンがマゾヒスティックに鳴り響き、リードのロック志向のギター・フレーズと絡み合って観客を熱狂させた。 しかし、方向性を見失っていたヴェルヴェッツは、4作目のアルバム『ローデッド』をリリースするにあたって崩壊へ導かれていく。楽曲が編集会社側で勝手にリミックスされたり、粗悪なプロデュースをされたり、ビジネスの悪魔に巻き込まれたバンドはアルバムの出来云々以前に、自分達のやりたい音楽をやれなくなっていた。そうしてできあがったアルバムは70年に発表されたが、その直前にリードが脱退、実質的なラスト・アルバムとなってしまった。 それでも、ヴェルヴェッツは終わってはいなかった。幸か不幸か、ユールがリードにそっくりな顔と歌声だったことがあり、プロモーター側はユールをフロント・マンとして活動を続けさせる。モリソンは早々と手を引いたが、タッカーはユールをサポート、ユールの弟ビリー・ユールなどをメンバーとしてライヴを細々と重ねる。しかしユールもヴェルヴェッツとしての活動はやめたいと思っていたのだが、ヴェルヴェッツ人気を棄てたくないレコード会社に騙されたも同然の形で73年に『スクイーズ』を発表。ユールを除いてすべてのメンバーは脱退しており、実質的なユールのソロ作品だった。それに嫌気が差したユールは音楽活動をやめ、隠遁生活に入る。こうしてヴェルヴェッツは消え入るように終息した。 だが、時代はヴェルヴェッツを支持した。デヴィッド・ボウイやイギー・ポップ、ニルヴァーナなど、幾多のミュージシャンがヴェルヴェッツからの影響を露わにし、様々な人間がヴェルヴェッツを再評価した。そうしてファースト・アルバムはロック史上に残る名盤と評されるようになり、未発表音源をふんだんに加えたボックス・セットや、ファーストのモノラル・ミックス盤、『ローデッド』のリードが望んでいたヴァージョンでの発売、発掘ライヴ音源など、様々なリリースが重ねられた。 それに押されるように、リードとケイルが再び手を組み、ウォーホルの死を悼んだアルバム『ソングス・フォー・ドレラ』を発表。80年代以後、ウォーホルと絶交状態であったことに対する後悔と謝罪が綴られた佳作となった。それを契機に93年、ヴェルヴェッツは黄金の4人で再結成を果たし、ライヴ盤もリリース。伝説がよみがえった。しかし、95年にモリソンが他界。ヴェルヴェッツの幕は再び閉じられ、そして二度と開かれなくなったのである。 ヴェルヴェッツがこんにちのロックに与えた影響は計り知れない。シューゲイザーやノイズ音楽、前衛音楽にアシッドな即興演奏など、特に「アンダーグラウンド」な世界では彼らをリスペクトし、倣うミュージシャンは数多い。しかしそのどれもがヴェルヴェッツの模倣であり、オリジナルを越えられていないのも事実である。 機会があれば、ヴェルヴェッツのアルバムを、そしてライヴ音源を耳にしてほしい。その音楽的挑戦はプログレッシヴ・ロックにすら通じるものがあり、ポップ性を保ちながら実験性に満ちている。 (KEN) 2008.3 「KENの生悟り」 DISCOGRAPHY 1967 The Velvet Underground & Nico(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ) 1968 White Light/White Heat(ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート) 1969 The Velvet Underground(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドIII) 1970 Loaded(ローデッド) Warner Bros. 1972 Live at Max's Kansas City 1973 Squeeze 1974 1969: Velvet Underground Live, Vol. 1 1974 1969: Velvet Underground Live, Vol. 2 1974 Archetypes 1974 Live with Lou Reedy 1976 Live 1985 VU 1986 Another View 1989 The Best of the Velvet Underground: Words and Music of Lou Reed 1993 Live MCMXCIII 1993 What Goes On? 1995 Peel Slowly and See 2000 Best of the Velvet Underground 2000 Classic Velvet Underground: The Universal Masters Collection 2001 An Introduction to the Velvet Underground 2001 Final V.U., 1971-1973 2001 Bootleg Series, Vol. 1: The Quine Tapes 2002 1965-1970: The Story, the Lyrics 2006 Velvet Underground Story 2007 Very Best of the Velvet Underground |
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『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』 |
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『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』 |
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『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(III)』 |
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『ローデッド』 |