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トリオを短期間で終えたのち、アレンはヨーロッパ各地を渡り歩き、そのうちにケヴィン・エアーズやのちの伴侶となるジリ・スマイスと交流を深めていく。ロンドンに残ったメンバーはのちにキャラヴァンとしてデビューするリチャード・クーラン、パイ・ヘイスティングス、リチャード・シンクレアなどとワイルド・フラワーズを結成、『The Wilde Flowers』として編集されるポップな諸音源を残す(この音源やカンタベリー発掘音源の多くは、偏執気質のブライアン・ホッパーがまとめたもの)。 66年の夏、カンタベリーに戻ったアレン(G, VO)を中心に、エアーズ(B)、ラトリッジ(KEY)、ワイアット(DS)の4人でバンドが結成される。ラトリッジがパリのバロウズに電話をかけ、直接使用許可をもらって付けたその名は、バロウズの小説のタイトルである「ソフト・マシーン」だった。4人組で本格始動したバンドは、ロンドンのUFOクラブを中心にヨーロッパ各地で精力的な活動を行いつつ、独自の音楽を模索していく。その音楽性はサイケ・ポップと呼ぶべきもので、サイケ・ブームに浮かれていたロンドンのサイケデリック・シーンで注目を浴びていく。その活動の中で同じUFOクラブ仲間のピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスとも交流し、ステージをともにすることもあった。67年、パリ公演からの帰りにアレンが麻薬所持によりイギリスへの入国許可が下りず、パリにとどまりそのままバンドを脱退することになる(アレンはスマイスとともにのちにゴングへと発展するプロジェクトを立ち上げる)。 エアーズ(B)、ラトリッジ(KEY)、ワイアット(DS, VO)のトリオになったバンドは、リード楽器をギターからラトリッジのファズ・オルガンに移行させ、独自の音作りを展開し、ここにオルガン主導の音楽性が生まれる(この音楽性はカンタベリー系と呼ばれるミュージシャンのひとつの指標となる)。そうしてライヴをこなし、68年にヘンドリックスのアメリカ長期ツアーに参加、ツアー途中にニューヨークでデビュー・アルバムとなる『The Soft Machine』を制作する。オルガン主導でワイアットがドラムを叩きながら歌うというスタイルは、初期のストレンジ・ポップを集約したものとなり、アルバムは好評を得る。 次回作を望まれる中、しかし長期ツアーで疲れ果てたバンドは解散状態にあった。一時は後にポリスで活躍するアンディ・サマーズ(G)が加入して再びクァルテット編成になるがサマーズはすぐに脱退。タイトなスケジュールに嫌気が差したエアーズまでも脱退し、イビサ島に移住してしまう(のちに彼はソロとしてサイケ・ポップな傑作を次々と生み出していく)。バンドはヒュー・ホッパー(B)を迎え、再びトリオとなって活動を再開。69年にセカンド・アルバム『Volume Two』を制作する(ホッパーの兄ブライアンもホーン奏者としてアルバムに参加)。ホッパーの加入によりジャズ志向が強くなり、アルバムは小曲の組曲で構成される。そうしてバンドはサイケ・ポップ路線からジャズ・ロック路線へと音楽性を移行させる。 ジャズ・ロック路線を模索する中で、リード楽器としてホーンを必要としたバンドは、当時キース・ティペット・グループに在籍していたエルトン・ディーン(SAX)と出会う。ディーンを筆頭にキース・ティペット・グループのメンバーが一時的に加入。バンドは大所帯の8人編成となり、70年に『3RD』を制作。LP2枚組の大作となった本作は、各LP片面1曲という長尺曲4曲で構成され、うちヴォーカル曲は1曲、あとは自ら打ち立てたジャズ・ロックという指針に基づいたインストゥルメンタルという具合に、一気にインストゥルメンタル・バンドへと変貌する。 サード・アルバム制作後、経済的な理由からホーン隊でバンドに残ったのはディーンひとりとなり、バンドはカルテットになる。そうして71年に『4』を制作。ディーン加入によりジャズ色をより強めたバンドは、全曲をジャズ・ロックのインストゥルメンタルとした。これに以前はヴォーカルもとっていたワイアットが存在感を薄めていき、シリアスなジャズへ向かっていくバンドに難色を示し脱退、以後ワイアットはマッチング・モールを経てソロとして活躍する。 完全なインストゥルメンタル・グループとなったバンドには、後任のドラマーとしてディーンのバンド・メイトだったフィル・ハワードが加入。アルバムが制作されるが、より先鋭的なフリー・ジャズを志向するディーン、ハワード組と、あらかじめ展開を決めたうえでのジャズ・ロックを志向するホッパー、ラトリッジ組との間に齟齬が生じるようになる。結果、ハワードはアルバム制作中に脱退。次のドラマーとしてイアン・カー率いるジャズ・ロック・バンド、ニュークリアスからジョン・マーシャルが加入、そうして硬質なジャズ・アルバムとなった『5』が完成するが、アルバム完成とともにメンバーと音楽性の相違が生じていたディーンが、自らの活動を優先して脱退する。 ディーンの代わりのリード奏者として、マーシャルと同じくニュークリアスから加入したのがカール・ジェンキンス(OBOE, SAX, KEY)。ディーンの即興的スタイルと異なり、スコアとアンサンブルを重視したジェンキンスのプレイによって、バンドの音楽性は洗練された都会的な雰囲気を醸し出すようになる。さらにはジェンキンスの作曲する曲はミニマル・ミュージックの影響からリズムやフレーズの反復を多用したものであり、初期とは違った意味でのサイケデリックなたたずまいさえ見せるようになる。そうした多様な音楽性を持つジェンキンスがバンドのイニシアティヴを握っていき、再びジャズ・ロックへと回帰したバンドは73年にライヴとスタジオとで録音されたLP2枚組の『6TH』を発表。しかしフリー・ジャズ志向だったディーン時代の作品に対し、平易なジャズ・ロックとなった作品にアヴァンギャルドな感性の持ち主だったホッパーが不満を抱き脱退。のちに彼は様々なセッションやバンドを渡り歩き、カンタベリー系の最重要人物となる。
また、同73年暮れにはアレン以来となる(68年一時的にアンディ・サマーズが加入したこともあったが)正式なギタリスト、アラン・ホールズワース(ニュークリアス〜テンペスト)も加入。その浮遊感溢れる早弾きによりバンドは一気にフュージョンへと接近し、75年『バンドルス(収束)』を発表する。ファズ・オルガンよりも強力なリード奏者が加わったことでラトリッジが存在感をなくし、脱退。遂にオリジナル・メンバーがいなくなり、バンドは元ニュークリアス勢により乗っ取られる。 今度はベースのバビントンが脱退、ブランドXのパーシー・ジョーンズが一時演奏していたが、ほどなくしてギルガメッシュからスティーヴ・クックが正式加入。ヴァイオリニストのリック・サンダースも加えて行われた77年のパリ公演を録音した78年発表のライヴ・アルバム『アライヴ&ウェル〜ライヴ・イン・パリ』でもって、バンドは実質的に終焉を迎える。ここには、従来のジャズ・ロック、フュージョンに加えてテクノにまで接近した音楽性を提示していた。 その3年後、「ソフト・マシーン」の名義所有者であるジェンキンスがマーシャルを誘い、ホールズワース他豪華なゲスト陣を迎えて81年にイージー・リスニング・アルバム『ランド・オブ・コケイン』を発表。形式上でのラスト・アルバムとなる。のちにアディエマスを立ち上げるジェンキンスの布石であり、ソロ・プロジェクト的内容となった。 その後ソフト・マシーンとしての活動はなく、ソフト・ヒープ(ヒュー・ホッパー、エルトン・ディーン、アラン・ゴウエン、ピップ・パイルの頭文字を合わせて“HEAP”となる)や、ソフト・ヘッド(ピップ・パイルの代わりにデイヴ・シーンが参加、頭文字を合わせて“HEAD”となる)などのソフト・マシーン的短期間ユニットが組まれていたが、2003年、元メンバーのディーン、ホールズワース、ホッパー、マーシャルの4人によってソフト・ワークスが結成され、同年に『アブラカダブラ』を発表。後期のフュージョン路線を強めた作品は好評を博し、来日公演も実現した。 またも1作で脱退したホールズワースに代わり、同じく元メンバーのエサリッジが加入、バンド名もソフト・マシーン・レガシーと改め、ライヴを中心に活動するが、メンバーだったディーンが2006年2月に他界、遺作となるライヴ盤や『ソフト・マシーン・レガシー』(2006年発表)を発表。ディーンの代わりにセオ・トラヴィスを加えてディーンの追悼公演を行い、活動を続けている。 また、2003年にはホッパー、ディーンのソフツ組に、ホッピー神山(KEY)と、ルインズなどで活動する吉田達也(DS)のクァルテットで「ソフト・マウンテン」と称し、スタジオ・セッションを敢行(グループ名はホッピー神山主催レーベル「ゴッド・マウンテン」に由来する)、スタジオ作『ソフト・マウンテン』を録音、2006年に発表した。2004年にはやはりホッパー、ディーンに、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースの再編ライヴでキーボードを担当していた女性キーボーディスト、ソフィア・ドマンシッチ(ソフィア・ドミニカ)と、元マグマのドラマー、サイモン・ゴウベールを加えたクァルテットでの「ソフト・バウンズ」でライヴ盤『LIVE AT LETRITON 2004』を録音している。今後もこのようなユニットが組まれるのか、ソフト・マシーン・レガシーは続行するのか、など注目が集まる。 (KEN) 2007.3 |
![]() The Soft Machine One Way |
![]() Volume Two One Way |
![]() BBC Radio 1 Live in Concert ROIR |
![]() BBC Radio 1 Live, Vol. 2 Windsong |
![]() Rubber Riff De Wolfe |
![]() Live in France One Way |
![]() Live at the Paradiso 1969 Voiceprint |
| 1968年 The Soft Machine(ソフト・マシーン) 1969年 Volume Two 1970年 Third(3RD) 1971年 Fourth(4) 1972年 Fifth(5) 1973年 Six(6TH) 1973年 Seven(7) 1975年 Bundles(バンドルス -収束-) 1976年 Softs(ソフツ) 1977年 At the Beginning 1977年 Triple Echo 1978年 Alive & Well: Recorded in Paris(アライヴ&ウェル〜ライヴ・イン・パリ) 1981年 The Land of Cockayne(ランド・オブ・コケイン) 1988年 Live at the Proms 1970 1989年 Vols. 1 & 2(ヴォリューム1&2) 1990年 Peel Sessions 1992年 The Untouchable Collection <1975-1978> 1993年 BBC Radio 1 Live in Concert 1994年 BBC Radio 1 Live, Vol. 2 1994年 Rubber Riff 1995年 Live in France 1995年 Live at the Paradiso 1969 1995年 Live Paradise 1995年 The Best of Soft Machine: The Harvest Years 1996年 Spaced 1997年 Jet-Propelled Photographs 1998年 Live 1970 1998年 Virtually 1999年 Fourth/Fifth 2000年 Noisette 2001年 Man in a Deaf Corner: Anthology 1963-1970(アンソロジー63〜73) 2001年 Turns On, Vol. 1 2001年 Turns On, Vol. 2 2002年 Backwards(バックワーズ) 2002年 Facelift 2003年 Abracadabra/Soft Works 2003年 BBC Radio 1967-1971(トップギア・セッションズ) 2003年 Kings of Canterbury 2003年 BBC Radio 1971-1974 2004年 Live in Concert 2004年 Live in Paris 2004年 Six & Seven 2004年 Somewhere in Soho 2005年 BBC in Concert 1972(ソフトステージ) 2005年 Soft Machine Legacy: Live in Zaandam 2005年 The Story of Soft Macine 2005年 Breda Reactor 2005年 BBC in Concert 1971(ライヴ・イン・コンサート71) 2005年 Out-Bloody-Rageous - An Anthology: 1967-1973 2005年 British Tour '75 2005年 Orange Skin Food 2006年 Floating World Live(フローティング・ワールド・ライヴ) 2006年 40th Year Jubilee Celebration: The Paris Concert 2006年 Soft Machine Legacy(ソフト・マシーン・レガシー) 2006年 Live at the New Morning 2006年 Grides 2006年 Middle Earth Masters |
![]() Live 1970 Blueprint |
![]() Abracadabra Tone Center |
![]() Legacy Live in Zaandam Avalon |
![]() Floating World Live Moonjune |
![]() 40th Year Jubilee Celebration In-Akustik |
![]() Soft Machine Legacy Musea |
![]() Middle Earth Masters Cuneiform |