ROXY MUSIC ロキシー・ミュージック


Written by KEN & OASI-Z




ブライアン・フェリー Bryan Ferry ヴォーカル、キーボード
ブライアン・イーノ Brian Eno シンセサイザー、キーボード
グラハム・シンプソン Graham Simpson ベース・ギター
アンディ・マッケイ Andy Mackay サックス、オーボエ
ロジャー・バン Roger Bunn ギター
デクスター・ロイド Dexter Lloyd ドラムス


BIOGRAPHY (KEN)

 「ザ・ガスボード」などのバンドでの活動を経て、女子校の美術講師をしながら、陶芸の創作活動していたブライアン・フェリーは、キング・クリムゾンのヴォーカリスト・オーディションを受けた際に、EG(当時のクリムゾンの所属事務所)に知られ、のちの活動に大きな意味を持ち始めた。※1

 既にバンドは構想ができあがっており、友人やバンド・メイトなどで始動していたが、ライヴ活動などは行っていなかった。次第にメンバーが整っていき、フェリー(Vo)、アンディ・マッケイ(Sax)、Phil Manzanera フィル・マンザネラ(G)、Paul Thompson ポール・トンプソン(Ds)、ブライアン・イーノ(Key)、グラハム・シンプソン(B)という布陣でバンドはロキシー・ミュージックとしてデビューし、71年に初ライヴを行う。そのライヴを観にきていたEG関係者をノック・アウトし、マネージメント契約を結ぶことに成功した。
 72年にシングルを出したのち、クリムゾンの詩人ピート・シンフィールドのプロデュースによるデビュー・アルバム『ロキシー・ミュージック』を発表。女優カリ・アンのセクシーなジャケットは反響を呼び内容はグラム・ロックに分類されるが、その実、異質な音楽性を発揮。NMEによる各部門賞で新人賞を受賞した。しかしシンプソンが脱退し、後任のベーシストを募るも定着せず、以後、バンドはセッション・ミュージシャンをベースに起用している。

 バンドはデヴィッド・ボウイのサポート・アクトをしながらレコーディング、翌年にセカンド『フォー・ユア・プレジャー』を発表。よりダークかつ先鋭化した内容が注目を集め、英チャート上位に食い込む。しかし、効果音やエフェクトを担当していたイーノが「グループにふたりのブライアンはいらない。ふたりのノン・ミュージシャンがいてはいけない」というフェリーの決断により解雇。グラマラスなイメージを持っていたバンドはその脱退劇により様変わりする。※2

 ロキシーは元カーヴド・エアのキーボーディスト/ヴァイオリニストのEddie Jobson エディ・ジョブソンを加え、同年にサード『ストランデッド』を発表。今までの近未来的な作風を覆し、モダーン・ヨーロピアン・サウンドに指針を変えていく。と同時に、イーノ脱退によりインパクトを失ったため、フェリーはバンドと平行してソロ活動を開始。ロキシーの中心人物であることを誇示していく。
 74年、『カントリー・ライフ』を発表。耽美的で叙情性を増した音楽性も話題となったが、何よりシー・スルーの下着姿の女性ふたりというジャケットが物議を醸し出し、エア・ブラシがかけられたり、顔のアップ写真が使われたり、袋入りで発売されるなど、様々な措置が取られた。※3

 75年、初期ロキシーの代表作『サイレン』を発表。ジャケットには当時フェリーのガール・フレンドだった女性モデル、ジェリー・ホールが起用された。シングル「恋はドラッグ」が大ヒットとなり、一躍ロキシーの名を広めたが、ツアー終了後にバンドは解散を発表。翌年にライヴ盤が発売され、初期ロキシーは幕を閉じた。※4

 ソロやセッション、ユニットなどで活動していたメンバー達は、78年に最集結。フェリー、マッケイ、マンザネラ、トンプソンの4人で再びロキシーを始動させる。ベースとキーボードはセッション・メンバーで補うことになった。翌年に復活作『マニフェスト』を発表。ロキシーらしく退廃的でありながら、ポップ性の向上した作品となった。
 しかし80年にはトンプソンが事故により指を骨折して結果的に脱退、3人+セッション・ミュージシャンという後期ロキシーのスタイルになる。3人で制作された『フレッシュ・アンド・ブラッド』はシングル・ヒットも生む。81年には凶弾に倒れたジョン・レノンを追悼するカヴァー・シングル「ジェラス・ガイ」を発表。全英1位となった。
 82年、実質的な最終作『アヴァロン』を発表。かつての前衛的なたたずまいはまったくなくなり、AOR的なゆったりとリラックスできる音楽性に変化した。シングルともにアルバムは大ヒット、全英1位を獲得。その後大規模なワールド・ツアーを行い、ライヴ盤も発表したが、グループとしての活動は停止。ロキシーは再びその歴史に幕を閉じる。

 その後、2000年代に後期メンバーでの再結成があり、様々なライヴに出演。映像作品もリリースされた。この再結成ロキシーは一時のプロジェクト的に終結したが、今後も復活するかも知れない。  (KEN) 2008.3 「KENの生悟り


<ロキシー・ミュージックのトリビア集> (OASI-Z)

※1
 1970年、グレッグ・レイクが抜けたキング・クリムゾンの新ヴォーカリストを選ぶオーディションにブライアン・フェリーが姿を見せたものの、ロバート・フリップとピート・シンフィールドが「クリムゾンに彼の声は合わない」と採用を見送る。納得。(因みに採用されたのはボズ・バレル)
しかし、その10年後『アヴァロン』を発表した直後のライヴではキング・クリムゾンを前座に迎えて、1ヶ月に亘るヨーロッパ・ツアーを敢行。人生、どう転がるか全く解らない。

※2
 「バンドに二人のノン・ミュージシャンは要らない」としてフェリーがブライアン・イーノを脱退させた本当の理由は、1973年の全英ツアーで、興奮した女性客がヴォーカリスト(フェリー)では無く、シンセサイザーを操るグラマラスなコスチュームと華麗なメイクを施したイーノの名前ばかりを叫んでいた事に激怒したから、らしい。(イーノ談)

※3
 4枚目のアルバム『カントリー・ライフ』のジャケット写真。アメリカでは左の女性、日本では右の女性が問題になる。(国の違いで問題対象が異なるのが興味深い)
 輸入盤(アメリカ盤)では、二人の姿は完全に消され「草むら」だけの地味なものに差替えられる。同じ「草むら」でもこれならOK!(笑)。
  因みに日本盤は、右の女性のヘアの部分を「味付け海苔!」を貼ったように不自然な加工を施して発売。しかし、右の女性は『フォー・ユア・プレジャー』同様にニュー・ハーフ嬢!?。このガッチリした肩幅は、どう見ても男。

※4
 5枚目のアルバム『サイレン』のジャケット写真の女性は、恋人のジェリー・ホール。(当時18歳)しかし、ミック・ジャガーにあっさり寝取られてしまう。 「恋はドラッグ」と浮かれていたものの、結局フェリーは「ジェラス・ガイ」。

<その他>
 1985年に発表された、フェリーのソロ・アルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』からのシングルカット「ドント・ストップ・ザ・ダンス」が、富士フイルムのビデオテープのCMに使われ、自身も出演した。もっとも、あの「クネクネ、フニャフニャ」なダンスは誰か止めて欲しかったが・・・。

 1997年4月〜6月、水曜9時からCX系で放送された連続ドラマ「ギフト」(主演:木村拓哉)の主題歌に、フェリーが1977年に発表した4thソロアルバム 『イン・ユア・マインド』収録の「東京ジョー」が使われる。因みに「東京ジョー」とは、映画・音楽評論家の今野雄二氏を「おちょくった」タイトルらしい。

 日本における熱烈なブライアン・フェリー信者の一人である市川哲史氏が、敬愛するフェリーにつけたキャッチフレーズの数々。
  「欧州モダ−ン・ミュージックのカリスマ」 「歩くラヴ・ソング」 「史上最強の公私混同男」 「恋愛の仙人」 etc・・・。



キャリアの変遷 (OASI-Z)

1 創成期(1972年〜1973年)

『ロキシー・ミュージック』 『フォー・ユア・プレジャー』

ブライアン・フェリー(Bryan Ferry) - vocal/keyboard
フィル・マンザネラ(Phil Manzanera) - guitar
アンディ・マッケイ(Andy Mackay) - sax/oboe
ブライアン・イーノ(Brian Eno) - synthesizer/keyboard/tapes
グラハム・シンプソン(Graham Simpson) - bass guitar(1stのみ)
ポール・トンプソン(Paul Thompson) - drums

ブライアン・イーノが在籍していた「グラム・ロック」と言われていた時期。
1stアルバム見開きの刺激的なメンバーの姿は、グラムを通り越して「キワモノ」的な感も。(特にイーノの女装はキモい!)
クールでモダンでアヴァンギャルド、プログレッシヴでスタイリッシュな実験的ポップは、後のニュー・ウエーヴの先駆的な存在に。
ただ、この時期の不安定なヴォーカルと楽器の乱調なアンサンブルは、聴く人によっては非常に居心地の悪さを感じるかもしれない。

2 成熟期(1973年〜1975年)

『ストランデッド』 『カントリー・ライフ』 『サイレン』

ブライアン・フェリー(Bryan Ferry) - vocal/keyboard
フィル・マンザネラ(Phil Manzanera) - guitar
アンディ・マッケイ(Andy Mackay) - sax/oboe
エディー・ジョブソン(Eddie Jobson) - synthesizer/keyboard/violin
ポール・トンプソン(Paul Thompson) - drums

イーノが脱退。替わりにエディ・ジョブソンが加入。バンドのイニシアティブは、完全にフェリーが握る。
サックス、ヴァイオリンといったジャズやプログレを意識させる楽器に、叙情的なメロディとポップな要素を取り入れたロキシーの真骨頂と言える音楽スタイルは、この時期に成熟を加速させる。
バンドのアンサンブルも徐々に向上。素人集団だったロキシーにエディ・ジョブソンの楽器演奏力は、新しい可能性をもたらせた。
デビューから4年で5枚のアルバムをリリースするのだが、この時期のフェリーのソング・ライティングの充実ぶりには目を見張るものがある。

3 完成期(1978年〜1982年)

『マニフェスト』 『フレッシュ・アンド・ブラッド』 『アヴァロン』


ブライアン・フェリー(Bryan Ferry) - vocal/keyboard
フィル・マンザネラ(Phil Manzanera) - guitar
アンディ・マッケイ(Andy Mackay) - sax/oboe
ポール・トンプソン(Paul Thompson) - drums(Manifestoのみ)

約3年のブランクを経て活動を再開したロキシーは、最終的にはフェリー、マッケイ、マンザネラの三人体制に。
ミックスにパワー・ステーションのエンジニアであるボブ・クリアマウンテンを起用するなど、「サウンド至上主義」的な音作りに拍車がかかる。
その全てを結集させたのが、ロック史上に残る不滅の名盤『アヴァロン』。
また、『マニフェスト』と『フレッシュ・アンド・ブラッド』の間には、故ジョン・レノンを悼んでカヴァー・シングル「ジェラス・ガイ」を発表。
シングルとしては、初の全英1位を記録する。 (OAS-Z) 2008.4



DISCOGRAPHY

1972年 Roxy Music(ロキシー・ミュージック)
1973年 For Your Pleasure(フォー・ユア・プレジャー)
1973年 Stranded(ストランデッド)
1974年 Country Life(カントリー・ライフ)
1975年 Siren(サイレン)
1976年 Viva!(VIVA!ロキシー・ミュージック) *初のライヴ盤
1977年 Greatest Hits(グレイテスト・ヒッツ)
1978年 The Ultimate Collection
1979年 Manifesto(マニフェスト)
1980年 Flesh + Blood(フレッシュ・アンド・ブラッド)
1981年 First 7 Albums *BOXセット
1982年 Avalon(アヴァロン)
1983年 The High Road(ハイ・ロード) *ライヴ
1983年 Atlantic Years 1973-1980(アトランティック・イヤーズ)
1986年 Street Life: 20 Greatest Hits(ストリート・ライフ 20グレート・ヒッツ)
1989年 The Early Years
1989年 The Later Years
1990年 Heart Still Beating(ハート・スティル・ビーティング〜ライヴ・イン・フランス1982) *ライヴ
1995年 Thrill of It All
1998年 Concert Classics *ライヴ
2000年 Valentine *ライヴ
2001年 Concerto *ライヴ
2001年 The Best of Roxy Music(ベスト・オブ・ロキシ−・ミュージック)
2001年 Vintage *ライヴ
2002年 Ladytron *ライヴ
2002年 Reflection(リフレクション) *ライヴ
2003年 Live(ライヴ) *ライヴ
2004年 The Platinum Collection
2004年 The Collection
2004年 Inside Roxy Music 1972-1974
2005年 The Collection
2007年 Alive in America
2008年 Live at the Apollo