BRIAN ENO ブライアン・イーノ


Written by KEN


 ブライアン・イーノ、本名“Brian Peter George St. Jean le Baptiste de la Salle Eno”は48年5月15日、イギリスはサフォーク州のウッドブリッジに産まれる。のちにアンビエントの大御所となるが、同じくアンビエント・ミュージックで活躍するロジャー・イーノは実弟。

 学校で美術を学習するかたわら、電子楽器や音声理論に関心を抱き、音楽の方面に傾倒することになる。学校にまだ在籍していた70年代よりアマチュア・グループで音楽活動を開始し、アンディ・マッケイの誘いによりロキシー・ミュージックに加入。シンセサイザー奏者としてその特異なファッションや音楽スタイルで注目されたが、ヴォーカリスト、ブライアン・フェリーの「グループにふたりのブライアンはいらない。ノン・ミュージシャンがふたりいてはいけない」という決断により脱退。ほとんどクビになる。

 その後、ソロとして活動を開始。74年に『Here Come The Warm Jets』でエキセントリックなシンガーとして出発して以来、数枚のヴォーカル・アルバムをリリースする。しかし75年にインストゥルメンタルが半分を占める『アナザー・グリーン・ワールド』、さらには「パッヘルベルのカノン」をアレンジした『ディスクリート・ミュージック』を発表してから、イーノは前衛的な現代音楽、ニュー・エイジ的な作風を強めていく。
 特に、プライヴェイトで交通事故に遭ってからは悟りを得たかその傾向が強くなり、「環境音楽」を提唱。78年に『ミュージック・フォー・エアポーツ』を発表してからは「音楽は演奏のためだけにあるんじゃない。部屋に飾られた花のように、環境として鳴り響くこともできる」として環境音楽に傾倒。ハロルド・バッドやジョン・ハッセル、ダニエル・ラノワなどを紹介または共作し、完全に「アンビエント・ミュージック」という枠を確立。第一人者であり大御所となる。ドイツのクラスターやデヴィッド・ボウイの「ベルリン三部作」といった共同作業も、のちのプロデュース・ワークを考えると見逃せない重要な点である。

 その後もアンビエント・ミュージック作品を発表し続けながら、80年代のロックの新たな動きにも関心を持ち、トーキング・ヘッズやU2などの作品にもプロデュースや演奏で参加。また無名だったアート・リンゼイ率いるDNAほかニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンにスポットをあてた傑作オムニバス『ノー・ニューヨーク』を発表するなどしている。

 このままプロデュースやアンビエント・ミュージックで活動するかと思われたイーノだが、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルとヴォーカル・アルバムを共作するなど、ポップなアプローチも保っていた。その一方でパソコン・ブームの火付け役となった、マイクロソフト社のオペレーティング・システム「Windows 95」の起動音を手がけるなど、知られないところでも幅広く活動。近年では再びヴォーカル・アルバムを制作するなど、その活動はアンビエント・ミュージックに於いて重要なばかりではなく、特異なシンガー・ソングライターとしても注目される。

(KEN) 2008.3 「KENの生悟り



DISCOGRAPHY

No Pussyfooting/Fripp & Eno

EG/Antilles/EMI
1973年 No Pussyfooting(ノー・プッシィフッティング)<Fripp & Eno>
1974年 Here Come The Warm Jets(ウォーム・ジェット)
1974年 Taking Tiger Mountain(テイキング・タイガー・マウンテン)
1975年 Another Green World(アナザー・グリーン・ワールド)
1975年 Discreet Music(ディスクリート・ミュージック)
1975年 Evening Star(イブニング・スター) <Fripp & Eno>
1977年 Before and After Science(ビフォア・アンド・アフター・サイエンス)
1977年 Cluster & Eno(未知への扉) <Cluster & Eno>
1978年 Music for Films(ミュージック・フォー・フィルムズ)
1978年 After the Heat <Cluster & Eno>
1978年 Ambient 1: Music for Airports(ミュージック・フォー・エアポーツ)
1980年 The Plateaux of Mirror(鏡面界) <Harold Budd & Brian Eno>
1980年 Possible Musics(第四世界の鼓動) <Brian Eno & John Hassell>
1981年 My Life in the Bush of Ghosts(ブッシュ・オブ・ゴースツ) <Brian Eno & David Byrne>
1981年 Empty Landscapes
1982年 Ambient 4: On Land(オン・ランド)
Cluster & Eno/Cluster & Eno

Sky/CAPTAIN TRIP RECORDS
1983年 Apollo: Atmospheres & Soundtracks(アポロ〜宇宙への伝道)
1983年 Music for Films, Vol. II(ミュージック・フォー・フィルムズ Vol.II)
1984年 The Pearl(パール) <Harold Budd & Brian Eno>
1984年 Begegnungen <Cluster & Eno>
1985年 Thursday Afternoon(サーズデイ・アフタヌーン)
1985年 Hyblid(ハイブリッド) <Michael Brook with Brian Eno & Daniel Lanois>
1985年 Voices(ヴォイス) <Roger Eno & Brian Eno>
1986年 More Blank Than Frank(モア・ブランク・ザン・フランク)
1988年 Music for Films, Vol. III
1990年 Wrong Way Up(ロング・ウェイ・アップ) <Brian Eno & John Cale>
1992年 Nerve Net(ナーヴ・ネット)
1992年 The Shutov Assembly(シュトフ・アッセンブリィ)
1993年 Robert Sheckley's In a Land of Clear Colours
1993年 Neroli(ネロリ)
1994年 Headcandy
1995年 Spinner(スピナー) <Brian Eno & Jo Wobble>
Wrong Way Up/
Brian Eno & John Cale

Opal/WEA/Hannibal
1997年 The Drop
1997年 Extracts From Music for White Cube
1998年 Lightness: Music for the Marble Palace
1999年 I Dormienti
1999年 Kite Stories
2000年 Music for Civic Recovery Center
2000年 Music for Onmyo-Ji
2001年 Drawn From Life
2003年 Bell Studies for the Clock of the Long Now
2003年 January 07003: Bell Studies for the Clock of the Long Now
2005年 Another Day on Earth
2005年 The Pearl Astralwerks
2005年 Equatorial Stars <Fripp & Eno>


ALBUM GUIDE



1974年 EG/Virgin/EMI

『ウォーム・ジェット』
Here Come The Warm Jets


 ブライアン・イーノ大先生、ロキシー・ミュージック脱退後に間髪入れず発表した74年発表の傑作。ロバート・フリップなどの参加も目を引くが、何より際立っているのはアヴァンギャルドなイーノの作曲センス。前衛的でキッチュでありながら、根底にはヒネくれたポップ精神が根付いている。「ベイビーズ・オン・ファイアー」など代表曲多し。(KEN)





1974年 EG/Virgin/EMI

『テイキング・タイガー・マウンテン』
Taking Tiger Mountain

 大先生、同年のセカンドでは中国舞踏の絵ハガキと夢からインスパイアされたというまたまた傑作を送ります。後のフリップやクラスターなどの交流に備えたかのような資質を見せており、その作曲センスは並じゃない。どこかオリエンタルな雰囲気もあり、ファーストを上回るポップ性とヒネくれ具合でノック・アウト。バウハウスにカヴァーされた「サード・アンクル」などを含む、初期の代表作。(KEN)





1975年 EG/Virgin/EMI

『アナザー・グリーン・ワールド』
Another Green World

 大先生のターニング・ポイントとなった75年発表のサード・アルバムにして、ロック史上、いやひょっとするとニュー・エイジ史上にも重要な名作。今まで完全な「歌モノ」だったのに対し、本作ではのちに「環境音楽(アンビエント・ミュージック)」と呼ばれるようになる佳曲を、歌モノの間に挟み込んで二分性を見せている。アンビエント・イーノを語るうえでは出発点であり、重要な一枚。(KEN)





1975年 EG/Virgin/EMI

『ディスクリート・ミュージック』
Discreet Music


 アンビエントに目醒めた大先生、同年発表の本作では完全にインスト・ミュージックを作曲し、浮遊感あふれる音世界を見せてくれています。「パッヘルベルのカノン」をイーノ流にアレンジした4トラックは秀逸で、特に2曲めは涙が出る。マジで。のちの「アンビエント・ミュージック」の出発点となった重要作。この頃から大先生は様々なアンビエント・ミュージシャンと交流し、プロデュースなども盛んに行うようになる。(KEN)





1978年 EG/Virgin/EMI

『ミュージック・フォー・エアポーツ』
Music For Airports


 大先生、78年発表の本作からいよいよ本気で「アンビエント」を提唱しはじめます。本作はその幕開けとなった「空港のための音楽」。ブックレット内には先生にしかわからない抽象的な曲進行とか書いてあります。その後シリーズは「4」まで続き、以後も「ミュージック・フォー〜」を題名に持ってくる作品は増えるわけですが、先生のアンビエントもののなかでは最も親しみやすく、売れた作品。(KEN)





1985年 EG/Virgin/EMI

『サーズデイ・アフタヌーン』
Thursday Afternoon


 大先生がブチかます、85年発表の「60分1曲」シリーズ。同傾向でのちに発表される『ネロリ』は沈み込むようなフレーズをミニマル的に繰り返していますが、こちらではサワヤカでクリーンなイメージのフレーズが繰り返されます。その分『ネロリ』より「聴きやすい」アプローチを持っていると言えましょう。60分あるけど。散歩の際などに聴くと仮想現実感を味わえる好盤であります。(KEN)





1993年 United States Dist/BEAT RECORDS

『ネロリ』
Neroli


 大先生、やってくれました。93年発表の本作は、単一のフレーズを延々60分余繰り返すだけの、究極のアンビエント・ミュージック。もともとは妊婦など医療関係に「落ち着く音楽を」と作られたらしいが、この単調きわまりないフレーズの繰り返しは彼のアヴァンギャルド精神の極北だ。なお、本作は「ミュージック・フォー・シンキング」という裏仮題もついており、なるほど漠然としたことを考えるにはもってこいだ。とくに、精神病患者にもってこいの音楽です。(KEN)