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ジョン・ウェットン、本名“John Kenneth Wetton”は49年6月11日、イギリスに産まれたアイルランド系の血を引く「ベースを抱いた渡り鳥」。アマチュア時代、モーガル・スラッシュでデビューしたのち、後期ファミリーのベーシストに抜擢。これがウェットンの実質的なプロ・デビューとなる。そして栄光のキング・クリムゾン時代を経て、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ブライアン・フェリー・バンドなどを渡り歩き、「プログレは死んだ」と言われた時代にエディ・ジョブソン、アラン・ホールズワース、ビル・ブラッフォードとでU.K.を結成。高い評価を得るが音楽性の相違からホールズワースとブラッフォードが脱退し、テリー・ボジオを迎えてのトリオとして活動を続ける。しかし今度はジョブソンとの食い違いから短期間にその活動を終える。 その後、ウェットンの才能を開花させたのは、バグルスやイエス出身のジェフ・ダウンズ、イエスから去ったスティーヴ・ハウ、エマーソン、レイク&パーマーが空中分解していたカール・パーマーの4人で結成したエイジアである。そこでは究極の「3分間プログレ」が展開され、ウェットンのポップ性が花開いた。大成功をつかむも、バンドはダウンズ中心となり、ウェットンは脱退。またもセッション・プレイヤーとなり、やがてソロの道を歩む。 ソロではエイジアで培ったポップ性を遺憾なく発揮した素晴らしい音楽性を見せ、数枚のアルバムや多くのライヴ盤などを発表する。そのかたわら、ジェネシスのトリビュート・バンドに参加したりなど、相変わらずフットワークの軽い活動を続ける。 その後、盟友ジェフ・ダウンズと共作アルバムを制作したのを契機に、2006年にオリジナル・メンバーで再結成されたエイジアで活動を始め、現在に至っている。 本国イギリス以上に日本のファンからの支持があつく、またウェットン自身も大の日本好きで、ライヴではかかさず「キミタチ、サイコダヨ!(君達、最高だよ)」というMCを放つ。日本酒と焼き鳥が大好物で、それが原因で肥ってしまったという噂も……? 以下、私見。 ジョン・ウェットンは不憫な人である。 そのキャリアが長いゆえに、ファン層も様々なものがあり、またファンはキング・クリムゾン現象よろしく「理想のウェットン像」を捏造してしまうのだ。そうして「あの頃のウェットンはどこにいった」だとか「ベースが彼らしくない」だとか「素直にプログレに戻ってこい」とか言われる。そんで「スターレス」をフル・レンジで演ってみれば「これはスターレスじゃない(これもその曲への偶像崇拝ですね)」とブーイングの嵐。何だよみんな会場じゃ盛り上がってるくせに後から文句言いやがって。 なのに、なぜだか「もっとポップになっていいよ」という人はなかなかいないのだな。 それはやはり、彼のキャリアの中で最も輝かしかった時期はクリムゾンにあり、というのが一般的プログレ見解だからだ。おいおい、勝手にそう決めてくれるなよ。セールスだとエイジアの方がぜんぜん輝かしいし、ポップネスの追求度合いで言えばソロ・アルバムの方が上じゃないか。 どうしてジョン・ウェットンという「人間」の基準を「プログレ」に求めてしまうのか? それは他のバンド/ミュージシャンの場合と同様である。それぞれにとっての「黄金時代」の像を、リスナーは情報や自分の判断によって作り上げ、それを基準としてしまう。それは「前進する」という意味を持つ「プログレッシヴ・ロック」に於いては重要なことだろう。時折(いや、しょっちゅう)勝手に作られていったプログレの基準に即して判断するため、喩えばクリムゾンの新作がその基準に即していないだけで低い評価を与えられてしまうこともあるのだが。 だが、ウェットンの場合は既に土壌が違う。 彼はエイジア以降、明らかにポップネスを追及する姿勢を見せていた筈だ。つまりそこは、プログレなんぞという範疇の外である筈なのだ。だのに、リスナーはプログレ基準で彼を捉えようとする。そしてどんなに売れようとも「これはプログレじゃない」と否定し続ける。 当たり前だ。 プログレじゃないんだもの。 やはり解りやすい例が、エイジアであろう。あのグループは「プログレ畑のミュージシャン」がポップを演奏したらこうなる、という実例だった筈だ。だのに未だに「プログレ畑のミュージシャン」という部分を拡大解釈して「だったらプログレである筈だ」と勝手に結び付けてしまう。 それが、偶像崇拝だというのだ。 これでウェットンが「僕はプログレ・ミュージシャン」とでも公言していれば、リスナーの批判も頷ける。しかしなぁ、彼はずっと「プログレ出身」の影を追い払う努力を重ねてきたのだよ? その後のキャリアを見れば明白じゃないか。彼が一見何の関係もなさそうなバンドのセッションなんかに多く参加したのも、もはやカテゴライズされたプログレというジャンルを離れ、色々な音楽を吸収したいと願ってのことだろう。そうして今、ウェットンは「ポップというもの」に逃げ帰ったのではなく、それまでに得たものを持ち帰って「原点回帰」しているのだ。 じゃあ、なぜその姿勢を評価してやらない? あなた方の好きな「プログレッシヴ」という言葉で。 ここがプログレ馬鹿の困りどころである。同じ音楽しか聴かないものだから柔軟性に欠け、客観性にすら欠ける。基準がプログレしかないんだな。そう言っても「男はコダワリがなくちゃなぁ、おい」ってな感じで職人気質を見せる自分に自分で惚れ込んでいる。 変拍子だけが音楽か? 分厚い音だけが音楽か? 長い曲だけが音楽か? そこに、音に惚れ込むプログレ・ファンが最も見落としてきた「歌詞」という概念はない。「歌」という基準が彼らには既になく「演奏」という基準ばかりを取り出してくる。 ポップで悪いか。 これは「プログレで悪いか」と同義語である。 (KEN) 2008.3 「KENの生悟り」 DISCOGRAPHY
1980年 Go Clubbing Marquee 1980年 Caught in the Crossfire 1987年 Wetton/Manzanera 1991年 Jacknife 1994年 Voice Mail 1995年 Chasing the Dragon [live] 1995年 Live: Chasing the Dragon 1995年 Battle Lines 1996年 Akustika: Live in Amerika 1998年 Live in Tokyo 1999年 Live in New York 1999年 Sub Rosa: Live in Milan 1998 1999年 Arkangel 2000年 Welcome Back to Heaven 2000年 Live at the Sun Plaza Tokyo 1999 2002年 Live at Atsugi, Vol. 1 2002年 Live at Atsugi, Vol. 2 2002年 Live in Argentina 2002年 Live in Sweden
2003年 Live in Stockholm 1998 2003年 No Mans Land: Live in Poland 2003年 Sinister 2003年 Rock of Faith 2003年 Live in Osaka 2003年 Live in the Underworld 2003年 One Way or Another [live] 2004年 Amata [live] 2005年 Icon 2006年 Acoustic TV [live] 2006年 Icon: Acoustic TV Broadcast [live] 2006年 Never in a Million Years [live] 2006年 Never in a Million Years: Icon Live 2006年 Agenda [live] 2006年 Rubicon 2006年 Icon, Vol. 2: Rubicon II |
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『コート・イン・ザ・クロスファイア』 |
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『ヴォイス・メイル』 |
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『アークエンジェル』 |