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70年代、アメリカはニューハンプシャー州サナピー湖のザ・バーンというクラブで演奏していた、ジョー・ペリー(G)とトム・ハミルトン(B)のバンド、ザ・ジャム・バンドを見たスティーヴン・タイラー(VO)は、彼らと新たにバンド組む事を決意。既にバンド、チェイン・リアクションでプロとしてデビューしていたスティーヴン・タイラーは、このまだ見ぬ架空のバンドに友人のジョーイ・クレイマー(DS)を、そしてもうひとりのギタリストに同じく友人だったレイモンド・タバーノを迎えたが、翌年にはレイモンドが脱退し、変わりにバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験を持っていたブラッド・ウィットフォード(G)を迎える事になる。そしてこの5人がエアロスミスのオリジナル・メンバーとなった。こうして5人はボストンの小さなアパートの個室で共同生活を始める。エアロスミスというバンド名は、ジョーイ・クレイマーが学生時代ノートの隅に書いてあったバンド名のひとつであり、空気を意味する“Aero”と、職人を意味する“Smith”を合わせた造語であるという。 デビューしてから、独自の感覚でブリティッシュ・ロックのフレイヴァーをアメリカンに仕立てた、ブルースなどに源流のある音楽性で活躍してきたエアロスミスだが、最初から売れたわけではない。73年発表のファースト『野獣生誕』はビルボードにチャート・インはしたものの、数ヶ月かけて最高166位というものだった。しかしバンドはこの時点で名曲「ドリーム・オン」を生み出しており、そのシングル・ヒットのためアルバムもセールスを伸ばしていった。 74年、セカンド『飛べ!エアロスミス』発表。最高ランクは相変わらず100位にも届かないものの、ディープ・パープル、ブラック・サバスなどの前座としてツアーに引っ張られる形で1年間以上にわたってチャートに居座り続け、地元地区ではヘッドライナー・ギグも実現する。 徐々に自分達のスタイルを築いていったバンドは、75年発表の『闇夜のヘヴィ・ロック』でその人気を確実なものにする。シングル・カットされた「やりたい気持ち」は全米36位のスマッシュ・ヒットとなり、さらにはラップの要素を取り入れた「お説教」がのちにカヴァーされたり、CMやTV番組に使用されたり、ライヴの定番曲にもなり、のちにシングル・カットもされ大ヒットする。アルバムも最高11位を記録し、初のプラチナ・ディスクを獲得する。 それに押される形で制作された76年発表の4作目『ロックス』はバンドの人気を不動のものとし、シングル・ヒットを生んでアルバム自体もツアーの好評と相俟って全米3位をマーク。出荷枚数のみで発売と同時にゴールド・ディスクを獲得。その年だけで100万枚のセールスを突破する。 77年には初の日本公演も行われ、キッス、クイーンと共に「日本3大人気バンド」のひとつとして数えられるようになる。しかしバンドはドラッグにまみれており、第5作『ドロー・ザ・ライン』の完成も遅れる。100万ドル以上の制作費をつぎ込まれたこのアルバムは間もなくプラチナ・ディスクになり、最高11位をマークするが、シングルはあまりヒットしなかった。それでも78年には初のライヴ盤をリリースするなど、まだまだ健在に見えた。 しかし、ここまでが第一期エアロスミスのピークだった。 中心メンバーであったジョー・ペリーが79年に脱退。実質ソロの、ジョー・ペリー・プロジェクトとして活動することになる。ギターには後任に元フレイムのジミー・クレスポを迎えて『ナイト・イン・ザ・ラッツ』が発表されるが、人気は下降。まずまずのヒットだったにもかかわらず、ドラッグへの依存度も高まるばかりで、アルバムの完成度もそれまでに較べると低くなった。81年にはブラッド・ウィットフォードも脱退。スティーヴン・タイラーもバイク事故により入院し、バンドは実質活動停止状態となる。82年にはギターにリック・デュフェイを迎えて『美獣乱舞』を発表したが、バンド低迷の印象は拭えなかった。 よもや解散か、というムードが強まる中、脱退後のセールスのふるわなかったジョー・ペリーとブラッド・ウィットフォードが84年に復帰、85年にオリジナル・ラインナップが復活して『ダン・ウィズ・ミラーズ』を発表。セールスもふるわず、内容も地味なものだったが、オリジナル・メンバーが復活したことが、エアロスミス第二の黄金期を築くきっかけとなった。その前触れとして、86年にRUN D.M.C.による「お説教」のカヴァーにスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが参加し、エアロスミスを知らない若年層にも支持され、最高4位をマークする。 87年、ドラッグと決別したバンドは『パーマネント・ヴァケイション』という傑作を生み出す。シングル・ヒットを連発し、アルバム自体も11位まで上昇。エアロスミス完全復活を印象付けた。二度目の来日公演を挟み、89年には『パンプ』を発表。こちらもシングル・ヒットを連発、アルバムは110週にわたってチャート・インするロング・セラーとなった。 そうして、93年にエアロスミス初の全米首位を獲得する名作『ゲット・ア・グリップ』を発表。完成しかけたマスター・テープをすべて破棄して作り直すほど徹底してクオリティにこだわったアルバムは世界各地でプラチナ・ディスクに輝き、全米で700万枚、全世界では1200万枚を売り上げる大成功をおさめた。シングル・ヒットを数曲飛ばし、第二の黄金期を築く。翌年にかけて全20ヶ月にも及ぶツアーが組まれ、世界各国でエアロスミスの過去作のセールスも上がった。 その後のエアロスミスの活躍は、語るまでもない。97年に『ナイン・ライヴズ』が全米1位になり、98年には映画『アルマゲドン』の主題歌となった「ミス・ア・シング」がシングル初の全米1位になり、全世界でトップの座に君臨する。2001年には『ジャスト・プッシュ・プレイ』、2004年にはブルース・カヴァー・アルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ』と順調なペースで活動を続けており、2001年にはロックの殿堂入りを果たし、98年の洋楽アーティストで初となる4大ドーム制覇などに代表されるような偉業をいくつも成し遂げている。アルバムのトータル・セールスは1億枚以上とも言われている。 聴いたことのないロック・リスナーには「ローリング・ストーンズの真似」などと呼ばれていたエアロスミスだが、その独自のポップスを昇華したロック・スピリットは、未知のリスナーには一度味わってほしい。さらに言うなら、決して馬鹿売れした「ミス・ア・シング」だけの印象で終わってほしくない。これからもエアロスミスは偉大な功績を残していくだろう。 (KEN) 2008.3 「KENの生悟り」 |
![]() Get Your Wings Columbia/SONY |
![]() Rocks Columbia/SONY |
![]() Draw the Line Columbia/SONY |
![]() Live Bootleg Columbia/SONY |
![]() Night in the Ruts Columbia/SONY |
![]() Rock in a Hard Place Columbia/SONY |
![]() Done with Mirrors Geffen/Universal Japan |
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DISCOGRAPHY (制作:HINE) 1973年 Aerosmith(野獣生誕) *デビューアルバムだが、日本では3番目のリリースとなった 1974年 Get Your Wings(飛べ!エアロスミス) *ジャック・ダグラスが初プロデュースし、全米74位のスマッシュヒット 1975年 Toys in the Attic(闇夜のヘヴィ・ロック) *8×プラチナムの最高セールスを記録している彼らの出世作。全米11位の大ヒットも記録した 1976年 Rocks(ロックス) *全米3位を記録した初期の代表作 1977年 Draw the Line(ドロー・ザ・ライン) *またしても全米11位のヒット作となるが、すでにメンバーたちはドラッグ漬けだった 1978年 Live Bootleg(ライヴ・ブートレッグ) *彼ら初のライヴ・アルバム 1979年 Night in the Ruts(ナイト・イン・ザ・ラッツ) *ジョー・ペリーが脱退し、ギターがジミー・クレスポに変わる 1982年 Rock in a Hard Place(美獣乱舞) *ブラッド・ウィットフォードも脱退し、リック・デュフェイ(G)が加入 1985年 Done with Mirrors(ダン・ウィズ・ミラーズ) *ジョーとブラッドが復帰し、オリジナル・メンバーで再出発 1987年 Permanent Vacation(パーマネント・ヴァケイション) *ドラッグと決別し心機一転した会心作。全米11位 1989年 Pump(パンプ) *全米5位/全英3位を記録し、110週間チャートインしていたロングセラー・アルバム 1993年 Get a Grip(ゲット・ア・グリップ) *全米No.1/全英2位のビッグ・ヒット。彼らの最高傑作と名高きアルバム 1995年 Big Ones(ビッグ・ワンズ) *中期のベストに2曲の新曲をプラスしたコンピレーション 1997年 Nine Lives(ナイン・ライヴス) *古巣ソニーに戻っての全米1位/全英4位大ヒット作 1998年 A Little South of Sanity(ア・リトル・オブ・サニティ) *中期の総決算的ライヴ・アルバム 2001年 Just Push Play(ジャスト・プッシュ・プレイ) *新しいエアロスミス・サウンドを印象づけた意欲作。日本盤には「アルマゲドンのテーマ」も収録 2004年 Honkin' on Bobo(ホンキン・オン・ボーボゥ) *彼ら初のカヴァー・アルバム。初回盤には付録でミニ・ブルース・ハープが付いていた 2005年 Rockin' the Joint(ロッキン・ザ・ジョイント) *2002年に行われたラスベガスで行われたプレミアム・ライヴ 2008年 Live in Philadelphia |
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![]() Permanent Vacation Geffen/Universal Japan |
![]() Pump Geffen/Universal Japan |
![]() Nine Lives Sony/BMG Japan |
![]() A Little South of Sanity Geffen/Universal Japan |
![]() Just Push Play Sony/BMG Japan |
![]() Honkin' on Bobo Sony/BMG Japan |
![]() Rockin' the Joint Sony Music Japan |
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『野獣生誕』 |
このアルバムを聴いたのは、彼らがデビューしてからずいぶん経ってからのこと。それというのも、当初このアルバムは彼らの故郷であるアメリカでもほとんど売れず、日本で紹介されたのは75年、サード・アルバムが初めてだったからだ。 |
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『闇夜のヘヴィ・ロック』 |
たった3年の間に大きく成長を遂げたエアロスミスのサード・アルバム。と言っても、それは後から分かったことで、日本では本作がデビュー作だった。 |
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『ゲット・ア・グリップ』 |
初の全米ナンバー・ワン・ヒットとなった本作は、完成しかけたマスター・テープをすべて破棄して作り直すほど徹底してクオリティにこだわったアルバム。世界各地でプラチナ・ディスクに輝き、全米で700万枚、全世界では1200万枚を売り上げる大成功をおさめた。「リヴィング・オン・ジ・エッジ」を皮切りに、「クライン」「クレイジー」「アメイジング」といったシングル・ヒットも飛ばし、第二の黄金期を築いた名作。 |