TRILLION トリリオン


 おそらくこのトリリオンのアルバムをすでに持っているという方は、ほとんどがTOTOの2代目ヴォーカリストであったファーギー・フレデリクセンのファンであり、その関連バンドということで入手したのだろう。あるいは、プログレ・ハードのファンでたまたま手に入れたのかもしれないが、それはほんの一握りにしかにすぎないはずだ。それほどマイナーなバンドなのだが、彼らが残した2枚のオリジナル・アルバムは共に名盤と言い切れるほど素晴らしい。

 1977年シカゴで結成されたトリリオンは、セッション・ミュージシャンとして活動していたパトリック(key)と相棒のフランク(g)が、自分たちの理想とする音楽を追求するために集めた同業者からなる、スタジオ・ミュージシャンの集合体だ。そういう意味ではTOTO結成のいきさつとよく似ている。
 音楽的イニシアチブを持っているのはパトリックで、彼はイエススーパートランプジェントル・ジャイアントクイーンなどから影響を受け、クラシックや現代音楽理論にも通じていた。当然トリリオン自体もプログレッシヴ・ロック的なアプローチを得意とし、演奏自体も相当上手いが、ポップさも兼ね備えていたのはセールスもある程度考えてのことだったのだろう。
 しかしながら、同時期にはすでにカンサススティクスボストンジャーニーといったアメリカン・プログレの大御所がビッグ・セールスを記録していて、我も続けとばかりに同様のバンドがアメリカ国内中にあふれていた。その中にあっては目立たない存在だったのかもしれない。レコード会社からの満足なサポートも受けられていなかったのは、ファースト・アルバムの音質の悪さをみれば察しがつく。だが、プロデュースにはフォリナーを成功へ導いたGary Lyonsを据えているところをみると、レコード会社もまったくやる気がなかったわけでなく、この手のバンドが多すぎて手が回らなかったというのが実体だったのだろうか。
 いずれにしろトリリオンは、その活動期にまったく成功することもなく、2枚のアルバムを残して解散。脚光を浴びるのは「TOTOの2代目ヴォーカリスト、ファーギー・フレデリクセンがかつて在籍していたバンド」として、ずいぶん後になってからのことだ。
 メンバーのうちフレデリクセン(当時はデニスと名乗っていた)は、スティクスのトミー・ショウ(vo,g)の後釜としてMs Funkというバンドに在籍していたこともあり、すでに将来を期待されるヴォーカリストだった。彼はほとんどの曲の作曲や作詞に名を連ねるなど、バンド中でもかなりの発言権を持っていたものと思われる。それがサウンドにも反映され、ファースト・アルバムではハードな要素も多分に入っていたのだろう。彼の抜けたセカンド・アルバムのサウンドと聴き比べてみるとそれがよく分かる。その他ドラムのビルはジャズ/フュージョン出身、ベースのロンはコーラス・グループ出身ということだ。またロンは舞台装飾会社に勤めていたこともあり、その経験は特にライヴ・パフォーマンスに生かされていたらしい。
 オリジナル・メンバーを整理しておくと
Dennis (Fergie) Frederiksen デニス・(ファーギー)・フレデリクセン/リード・ヴォーカル
Patrick Leonard パトリック・レオナルド/キーボード
Frank Barbalace フランク・バーバレイス/ギター、ヴォーカル
Bill Wilkins ビル・ウィルキンス/ドラムス
Ron Anaman ロン・アナマン/ベース、ヴォーカル


 このメンバーで1978年にはファースト・アルバム「氷牙」(Trillion)をリリース。ここから「ホールド・アウト」もシングル・カットするが、セールスはふるわず、チャート・アクションもなかった。そのままフレデリクセンは脱退し、デビュー前のGiuffria ジェフリアへ加入→Le Loux ル・ルーTOTOFrederiksen/Phillips フレデリクセン/フィリップスMecca メッカと渡り歩くことになる。
 トリリオンの後任ヴォーカルには、マルチ・プレーヤーでプロデューサーやエンジニアとしても活躍する多才な人物
Thom Griffinトム・グリフィンを起用。この体制でセカンド・アルバム「クリアー・アプローチ」を80年にリリースした。ハードさを押さえ、TOTOのようなAOR路線にシフトしたすばらしいアルバムだったが、結果はまたもや惨憺たるもの。日本では当時発売さえされなかった(98年にCD化され初めて日本盤がリリースされた)。
 その後トリリオンがいつ解散したのかは定かでないが、中心人物であるパトリックが81年にSoftwareというバンドでキーボードを弾いていることから、おそらくその前にはもう崩壊していたのだと思われる。パトリックはその後プロデューサー兼セッション・プレイヤーとなり、マドンナやブライアン・フェリー、ピーター・セテラ、エルトン・ジョンなどのアルバム・プロデュースを手がけている。また2001年には故ケヴィン・ギルバート(シェリル・クロウの元恋人/vo,g)と組み、Toy Matinee トイ・マチネーというバンドを結成、アルバムも1枚リリースした。
 2代目ヴォーカリストのトムは、その後ずっと音沙汰がなかったが、近年になってまたエンジニアやヴォーカリストとして復活。2003年にはスティーヴ・ウォルシュ(KANSAS/vo,key)とダニエル・リヴェラーニ(EMPTY TREMO/Multi)のプログレッシヴ・ロック・オペラ・プロジェクトKHYMERA キメラでもヴォーカリストとして参加していた。
 残るフランク、ビル、ロンについての消息が分かっていない (HINE)
2005.6


音源・資料提供協力:「Raining On The Moon」Kyotaさん


氷牙
Trillion

トリリオン
Trillion



1978年 Epic/Sony
1. ホールド・アウト
 Hold Out Barbalace
2. ビッグ・ボーイ
 Big Boy
3. ギブ・ミー・ユア・マネー、ハニー
 Give Me Your Money, Honey
4. ネバー・ハド・イット・ソー・グッド
 Never Had It So Good
5. メイ・アズ・ウェル・ゴー
 May as Well Go
6. ファンシー・アクション
 Fancy Action
7. ハンド・イット・トゥ・ザ・ウィンド
 Hand It to the Wind
8 ブライト・ナイト・ライツ
 Bright Night Lights
9. チャイルド・アポン・ジ・アース
 Child Upon the Earth
 ミキシングが悪いのか、ところどころヴォリュームレベルが大きいところが音割れするなど、音質はかなり悪い。シンセサイザーの音もチープで各楽器の音のバランスもバラバラだ。しかし内容的にはいかにもアメリカン・バンドのプログレという印象で、ハードでポップ、乾いた爽快感もあるかなりの名作だ。
 TOTOの2代目ヴォーカリストFargie Fredriksenが唄っているということでも知られるこのトリリオンのファーストだが、そんなことを忘れて聞いても、プログレ・ハードのファンなら曲と演奏のすばらしさに感嘆の声をあげることだろう。
 個人的にはTOTO時代のフレデリクセンもなかなか良いと思っているが、本作でのフレデリクセンはTOTO時代より生き生きとしているようにも感じられる。若かったということもあるのだろうが、こういったハード・サウンドには自然体でとけ込めるようだ。
 TOTOと同様、トリリオンのメンバーは全員がスタジオ・ミュージシャン出身で、それぞれの音楽性はTOTO以上にバラバラなはずだが、出来上がったサウンドはTOTOよりまとまりがある。よく聞くとその中にジャズ、クラシックはもとより、コーラス・グループやカントリー、スパニッシュの香りさえ漂わせた高度な音楽性を持っていことに気づかされる。
 シングル・カットされた1曲目の「ホールド・アウト」はまさしくトリリオンのサウンドを象徴するようなプログレッシヴでハードなパワフル・ナンバーだ。ドラムから始まるイントロの変拍子とその後のハードに歪んだギターの音だけでもうトリリオン・ワールドにどんどん引き込まれてしまう。そのままメドレーで2曲目に突入し、その後も全編ほぼ同じ路線のテクニカルでポップなナンバーで一気に進み、気が付くと終わっていたという感じなのだ。同じ路線と言っても1曲の中でめまぐるしく展開が変わるのでまったく飽きることはない。それがあっという間に終わるように感じさせるのだろう。
 何度聞き直してみても、音のバランスや音質の悪さ以外に欠点は見あたらない。こんな素晴らしいアルバムが当時売れなかったとはまったく信じれないほどだ。カンサスやジャーニーという時の風雲児を抱えていたSONYからデビューしたことが彼らの不運だったのだろうか。(HINE)


★★★名盤PICK UP★★★

クリアー・アプローチ
Clear Approach

トリリオン
Trillion



1980年 Epic/Sony
1. メイク・タイム・フォー・ラヴ
 Make Time for Love Black
2. ラヴ・ミー・エニイタイム
 Love Me Anytime
3. アイ・ノウ・ザ・フィーリング
 I Know the Feeling
4. メイク・イット・ラスト・フォーエヴァー
 Make It Last Forever
5. プロミセズ
 Promises
6. シティーズ
 Cities
7. ホワット・キャン・ユー・ドゥ?
 What Can You Do?
8. クリアー・アプローチ
 Clear Approach
9. ウィッシング・アイ・ニュウ・イット・オール
 Wishing I Knew It All
 セールスがどうの、他での評判がどうのということに関係なく、自分の耳で聞いて「これはいい」と思ったものだけを皆さんに紹介しようと常々心がけている。そういう意味でも、このトリリオンのセカンド・アルバムは、最も皆さんに紹介したかった作品の1つだ。隠れた名盤と言い切っても差し支えないだろう。
 もちろん好みの問題もあり、聞いた全員が好きになるとは考えられないが、少なくともアメリカン・プログレ(スティクスやカンサス)のファンやAOR寄りのハード・ロック(ジャーニ、TOTOなど)が好きな方には充分このアルバムの素晴らしさが伝わるはずだ。
 ファースト・アルバム同様、なぜ本作が売れなかったかなど、当時の日本では発売もされなかったので知る由もないが、日本の状況だけを考えると、リリースが実に微妙なタイミングであったためという想像もつく。当時(70年代末期〜80年代初頭)は、ちょうどイギリスとアメリカで売れていた音楽傾向がまったく違っていた時期だった。イギリスはパンク〜ニュー・ウェイヴのブームに沸き、アメリカではアメリカン・プログレとAORが花盛り。狭間にいた日本はどっちつかずで、その両方のうちの有名なものだけをつまみ食いするといった状況だった。トリリオンのような優良バンドも当時のアメリカにはたくさんいたのだろうが、日本にはほとんど紹介されていなかったのだ。
 本作では、リード・ヴォーカルがトム・グリフィンに替わったことで、サウンド全体にも変化が起きている。曲作りにも大きく関わっていた初代ヴォーカリストのフレデリクセンが抜けたことで、それも当然とも言えるが、ハードさは薄れ大人っぽく都会的な音、つまりはAORっぽいサウンドへとシフトしている。プログレッシヴな感覚も多少薄れてはいるが、まだ随所にそれらしいアプローチが混じり合っている。
 このサウンド変化の中、ヴォーカルのトムの声は実にうまくマッチした。特に2曲目のバラードなどはトムの哀愁を帯びた歌声が胸に突き刺さるようで、非常に感動的だ。
 今作での新境地は3曲目でみせるようなフュージョン的アプローチ。出だしは前作から引き継いだプログレ・ハード・サウンドなのだが、途中からキーボード、ベース、ギターがいずれもフュージョンっぽいフレーズを弾きはじめ、かなりかっこいい。
 4曲目などはそのままTOTOの曲にしてもおかしくないハード&メロウな曲。ちょうどTOTOがブレイクしはじめた時期なので、意識していたのかもしれない。
 アルバム中、最も感動的なのは6曲目の「シティーズ」。曲前半はパトリックのピアノを背にトムがしっとりと歌い上げる。そして途中から急にハードなギターが入りテンポが急上昇。ノリは最高潮に達する。しかしそのままでは終わらず、またもとのスローテンポにもどってトムが最後まで熱唱する。すばらしい!!
 その他の曲もむろんすべて捨て曲無し、こんな名盤が埋もれたままなのは、本当にもったいないことだが、現在はまた日本盤が廃盤状態で、中古でもほとんど出てこない。
 「フレデリクセンが在籍したバンド」としてではなく、トリリオンというバンド自体が早く正当評価されるようになることを祈るばかりだ。(HINE)