GENESIS ジェネシス

Written by KEN 「KENの生悟り」


 ジェネシスの歴史はイギリス、サリー州にある中流階級向けパブリック・スクール「チャルター・ハウス」で始まる。チャルター・ハウスに入学したピーター・ガブリエルは、ジャズ・バンドやR&Bバンドを経て学内でアンソニー・フィリップス、トニー・バンクスらと「ザ・ガーデン・ウォール」を結成。一方、同校にてマイク・ラザフォード、フィリップスらが「ジ・アノン」を結成。このふたつのバンドがジェネシスの母体となる。
 66年12月に行われた学内のコンサートでジ・アノンのヴォーカリスト、リチャード・マクファイル(のちにジェネシスのローディとなる)が退学するためにラスト・ライヴを開催。その前座としてザ・ガーデン・ウォールが出演。その際、ザ・ガーデン・ウォールのベーシストが不在だったため、ジ・アノンのラザフォードが臨時で参加したのが両バンド融合の発端となる。
 その後、ジ・アノンが自作曲のデモ録音をすることになり、ザ・ガーデン・ウォールのバンクスに協力を依頼、その流れでガブリエルがヴォーカリストとして、さらに当時ザ・ガーデン・ウォールのドラマーだったクリス・ステュアートが参加して67年3月にレコーディングを行う。これがジェネシスの原型となる。
 のちにファースト・アルバムにリメイクされる曲を含む6曲をおさめたデモ・テープが友人の手を介してチャルター・ハウス出身の先輩で著名な歌手だったジョナサン・キングに渡る。結果キングに認められ、5年契約の話も持ち上がったが、彼ら自身の親の反対により1年契約でサインする。こうしてジェネシスがスタートする。メンバーは
ピーター・ガブリエル(VO)、トニー・バンクス(KEY)、マイク・ラザフォード(B)、アンソニー・フィリップス(G)、クリス・スチュアート(DS)という構成になった。

 68年、デビュー・シングル「静寂な太陽よ」をデッカ・レコードからリリース。あたたかみのあるフォーク・サウンドでジョナサン・キングの趣味に合わせた曲となっている。続けてセカンド・シングル「冬の物語」リリース。その後ドラマーがジョン・シルヴァーに交替し、ファースト・アルバムのレコーディングを行った。そして69年、アルバム『創世記(From Genesis To Revelation)』がリリースされる。しかし、当時アメリカに同名のバンドがあったため“Genesis”を名乗ることができずにいた。第2候補の“Revelation”も同名バンドがあり、そこでアルバム名とバンド名を兼ねて“From Genesis To Revelation”という名義で発表された。しかしセールスには繋がらず、結局650枚という結果に終わり、キングの彼らに対する興味も失われてしまう。

 やがて“Genesis”を名乗ることができるようになった彼らはライヴ活動を続ける。
 ライヴではフィリップスの12弦ギターの長いチューニング時間に合わせてガブリエルが長尺のMCをすることが多く、それが後の演劇的パフォーマンスのきっかけとなる。
 やがて共演したレア・バードに見初められ、彼らのレーベル「カリスマ」のオーナー、トニー・ジョンストラットン・スミスと70年4月に契約を結ぶ。70年、セカンド・アルバム『侵入』のレコーディングが行われる。ドラマーは
ジョン・メイヒュー
 しかし、アルバム・レコーディング終了後、フィリップスが健康上の理由から、メイヒューが技巧上の理由から相次いで脱退してしまったため、バンドは新たなギタリストとドラマーを探すためオーディションを実施。クワイエット・ワールド
スティーヴ・ハケット(G)とフレイミング・ユースフィル・コリンズ(DS)が加入。ここに第一期黄金ラインナップが成立することになる。

 セカンド・アルバム発表後、ジェネシスはますますライヴに力を注ぐようになり、独自性を強めていった。特にフロント・マン、ガブリエルのアイディアによる演劇的でシュールなライヴ・パフォーマンス――額の剃り上げ、厚塗りのメイク、狐や花や蝙蝠など数多くの凝った衣装の導入など――が人気を博するようになった。その反面、ガブリエルばかりが取り上げられワンマン・バンドという認知も世間に広がっていくが、他のメンバーも脇役という印象から脱却しようと、舞台の派手な演劇性に釣り合うように徐々に演奏テクニックを磨いていき、次第に音楽面での存在感を示していく。
 こうして70年代前〜中期のジェネシスは英国のみならず欧州を代表するライヴ・バンドへと成長していった。また、ライヴのみならず、発表する作品も次々と傑作を創出。セールスも同時に伸びていき、名実ともに偉大なプログレッシヴ・ロック・バンドの仲間入りを果たした(後にキング・クリムゾンピンク・フロイドイエスEL&Pの「プログレ四天王」と並んで「プログレ五大バンド」と呼ばれるようになる)。

 この5人の時期はジェネシスが最も「プログレッシヴ」であった時期であり、発表されるアルバムは傑作揃い。マザー・グースに基づいた歌詞や世界観がバンドの演劇性を生んだ71年の『怪奇骨董音楽箱』、モールス信号のようなリズムが特徴の、この時期の代表曲「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」と23分もの演劇的組曲「サパーズ・レディ」を含んだ72年の『フォックストロット』、全作中、最も英国臭漂うサウンドとなった73年の『月影の騎士』、ライヴ音源の初リリースとなる同年の『ライヴ』、ガブリエルが全権を掌握して製作された、シュールレアリスティックな物語となっている74年の2枚組『眩惑のブロードウェイ』……と、プログレッシヴ・ロック・ファンはこの時期のジェネシスを最も好むだろう。

 だが、絶頂期のジェネシスにはフロント・マン、ガブリエルとメンバーとの対立という問題があった。メンバーはルールとして収入を均等に配分することになっていたが、フロント・マンとして数々の劇的パフォーマンスをこなし、周囲の注目を浴びていたガブリエルにはそれが不満だった。さらには、人気と共にスケジュールが過密になり、疲労が蓄積、さらにはポップ・スターとしての存在に耐えられなくなった、そして子供の出産がありプライヴェイトな時間を必要としていた……という理由でもって、ガブリエルは自分の全表現となった『眩惑のブロードウェイ』で主人公「レエル」に自分探しの旅に出させたように、自らを追い求め脱退を決意する。そうして75年の「ブロードウェイ・ツアー」パリ公演を最後にガブリエルが脱退。ジェネシスはバンドとして最大の危機を迎えることになった。彼らは急遽オーディションを行ったが、独特なリズムを持つ楽曲のヴォーカルをこなせる器はなかなか見付からない。そこでメンバー内では懐疑の声が上がってはいたものの、バック・ヴォーカルや、時にはリード・ヴォーカルとして活躍してきたコリンズが適任であったため、彼をリード・ヴォーカルに抜擢することに決定した。

 世間では、ガブリエル不在のジェネシスはもう終わったとさえ言われていたが、残った4人で製作された76年のアルバム『トリック・オブ・ザ・テイル』はそんな風評を跳ね除ける傑作となった。その完成度は脱退したガブリエルも賞賛したほどであり、セールス的にもかつてない好成績を記録することになる。コリンズがヴォーカルに専念するためライヴでのサポート・ドラマーを必要としたジェネシスは、キング・クリムゾンの解散宣言後、幾つかのバンドを経てフリーになっていた、元イエス〜キング・クリムゾンのビル・ブラッフォードを採用する。演劇的なステージングの再現なるか? と危惧されていたライヴでは、子役出身の経験を活かしたコリンズの親しみやすい、Tシャツ1枚でのユニークなパフォーマンスが好評を博する。以前の怪奇な、不気味でさえあったジェネシスの雰囲気とは異なる、新たな魅力を打ち出し始めた。ライティングなどのステージ設備にも凝り、バンド内のテクニックもさらに向上して、演劇のような刹那性ではない、本格的なライヴ・バンドとしての実力が身に付いていく。

 ほどなくしてブラッフォードが自身の活動のため早くも脱退、そこでフランク・ザッパ・バンドチェスター・トンプソンがサポート・ドラマーとして加わる。そうして同年『静寂の嵐』という傑作を引っ提げてツアーも順調にこなし、4人ジェネシスとして77年には2枚組ライヴ盤『眩惑のスーパー・ライヴ』もリリース。インストになるとコリンズがドラムを叩き、ダブル・ドラムになったり、大曲「サパーズ・レディ」を再現するなど、この時期のジェネシスの集大成的傑作ライヴ・アルバムとなった。

 順風満帆に見えたジェネシスだったが、ラザフォードがライヴではベースとギターのダブル・ネックを活用しており、結果存在感を薄めてしまったハケットが脱退を表明。特にバラードなどで類稀なセンスを見せていた彼の脱退にバンドは驚きを隠せなかったが、元ジャン=リュック・ポンティ・バンドのメンバーだったダリル・ステューマーをドラム同様ライヴでのサポート・メンバーとして加入させることで補力する。こうして77年の暮れにはジェネシスのメンバーは3人になってしまった。それは危機ではあったが、第二次黄金期の幕開けでもあった。

 スタジオではハケットの代わりにラザフォードがギター・パートも担当することになり、78年、まるで3人になってしまったことを諧謔的に楽しんでいるかのような題名の『そして3人が残った』を発表。過去最大級のヒットとなる。この頃からコリンズのソロ活動も始まっており、それと歩調を合わせるかのようにバンドもポップ化が進み、アメリカでの人気も増していくことになる。
 80年発表の『デューク』では失われつつあったプログレ的な要素を多く含み、遂に全英ナンバー・ワンを記録。続く81年の『アバカブ』ではアース・ウィンド&ファイアで有名なホーン・セクションを導入。コリンズのソロと大差がない明るく、ブラックな楽曲で占められるようになった。82年にはオールド・ナンバーも披露した2枚組ライヴ盤『スリー・サイズ・ライヴ』を発表。84年には『ジェネシス』、とチャート的にも作品的にも充実した時期を過ごす。そうして86年、『インヴィジブル・タッチ』が世界的大ヒットとなり、アルバムのタイトル曲である「インヴィジブル・タッチ」はビルボード・シングル・チャートで全米ナンバー・ワン・ヒットとなった。なお、バンドにとってこれは最初で最後の全米ナンバー・ワンとなった(その座を引き摺り下ろしたのは皮肉にも元メンバーのピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」だった)。

 3人のソロ活動も順調で、88年にはラザフォード率いるマイク&ザ・メカニクスのシングル「リヴィング・イヤーズ」が全米ナンバー・ワンを獲得。バンクスも自身のソロ作を発表。そして何より、バンドの看板となっていたコリンズのソロはヒットを連発。何曲もの全米ナンバー・ワン・ヒットを輩出し、ヒット・メーカーの名を欲しいままにしていた。こうしてジェネシスはメンバーの活躍をも飛躍に活かし、プログレッシヴ・ロック・バンドとして最も成功したバンドとまで呼ばれるようになる。
 アルバムやシングルの成功に対してライヴはどうだったかというと、こちらも文句の付けがたい完成度のものを披露していた。特に「ヴァリ・ライト」というジェネシスが開発、及び実用に関わった照明設備の効果がライヴ演出に絶大な威力を発揮したことは記憶に新しい。先進的な光の演出とサウンドで時代をリードした。91年にはプログレ回帰したかのような長尺曲も含む『ウィ・キャント・ダンス』を発表、世界中で最大級のセールスを記録する。92年にはシングル・ヒット曲を中心としたライヴ盤『ザ・シングル・ヒッツ:ライヴ前編』、翌93年には過去曲をメドレーにしたり長尺曲を披露している同じくライヴ盤『もうひとつのジェネシス:ライヴ後編』をリリース。これまでの3人ジェネシスの活動を集約した。

 やがてコリンズのソロ活動の人気にも陰りが見え始め、以前のような「出せば必ずナンバー・ワン」という法則は成り立たなくなった90年代半ば、それは突然発表された――フィル・コリンズの脱退――それは長年のチーム・ワークを培ってきた3人には信じられない出来事だった。しかし、2枚にわたるベスト的内容のライヴ盤発表や、アルバム『ウィ・キャント・ダンス』中の曲でジェネシスを去ることを匂わせる詞を書いていることなど、コリンズ脱退の動きは確かにあった。そうして96年にコリンズが脱退、メンバーはとうとうふたりとなってしまい、過去最大級の危機を迎えることになる。

 コリンズの代わりにバンドはスコットランド出身の新進バンド、スティルトスキンのヴォーカリスト、レイ・ウィルソンを迎え入れる。コリンズよりもガブリエルに近い、ハスキーな声の持ち主である若いウィルソンの加入はバンドをも若返らせ、プログレッシヴ・ロック時代を匂わせるロック色を強めた『コーリング・オール・ステーションズ』を97年に発表。本国イギリスやヨーロッパではチャートの上位をマークするが、アメリカでの評判は芳しくなく、無難な作風は以前のような世界的ヒットには繋がらず、ウィルソンもツアー後脱退してしまう。

 そうしてジェネシスは事実上の休止状態となっていたが、発掘音源集『アーカイヴ 1967-1975』『アーカイヴ #2 1976-1992』のリリースや、黄金期の5人が再集結して『眩惑のブロードウェイ』収録曲「カーペット・クロール」をリメイクした「カーペット・クローラーズ1999」を含む初のベスト・アルバム『ベスト・アルバム(ターン・イット・オン・アゲイン)』のリリースなど、話題にはこと欠かなかった。特に後者は黄金期ラインナップでの再結成か、とファンを喜ばせたが、バンド同窓会的な1曲のリメイクのみで終わり、肩透かしを食らった気分となった。そうして沈黙を保っていたジェネシスだったが、ファンからは再結成が切望され、マスコミからは誤った再結成報道が後を絶たない日々が続いた。

 そして遂に2006年11月、フィル・コリンズ、トニー・バンクス、マイク・ラザフォードがロンドン郊外に介し、記者会見を決行。3人での再結成が決定した。ツアーは2007年6月から7月にかけて欧州各国を20日間かけて回るというもの。さらに北米でのツアーも予定しているという。ツアーにはサポート・メンバーのチェスター・トンプソン、ダリル・ステューマーも同行する。歴代アルバム14作品の5.1chリマスターSACD/DVDリリースの予定も組まれ、まだまだ、これからもジェネシスの動向には目が離せなくなりそうだ。 (KEN)2007.2


<参考:The World Of GENESIS(http://genesis.saloon.jp/)>


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