Jude Cole Biography
  ジュード・コールは1960年にイリノイ州のイースト・モーリーンという小さな田舎町で生まれた。幼い頃のJudeのアイドルはBeatlesとエルヴィス・プレスリーで、家ではいつもカントリー・ミュージックが流れていたそう。ジュードが最初に手に入れたアコースティック・ギターで覚えたのもやはりカントリー・ソングだった。毎日8時間をギターの練習に当てていたというジュードは早くも頭角を表し9歳にして地元のクラブに出演する"プロフェッショナル・ミュージシャン"になっていたという。(ちなみにこの頃ロング・ヘアーだった彼は、よく女の子と間違われた!)  15才でアコースティック・ギターからエレクトリック・ギターに転向したジュードは17歳のときにロスアンゼルスに進出、オクラホマ出身のシンガー・ソングライター〜ムーン・マーティンのバンドRavensにギタリスト/ヴォーカリストとして加入する。Judeが参加したMoon Martinのアルバムは「Escape From Domination」(1979) 「Street Fever」(1980)の2枚であるが、これらのアルバムにおけるジュードの貢献度は非常に高く、ギタリストとして、バックグラウンド・ヴォーカリストとして、そしてソングライターとして全編で大活躍している。当時(1980年)のMoon Martin Bandのライヴ・ビデオを見ても、ジュードの存在感は他のRavensのメンバーから抜きん出ており(曲によってはリードvoをとっている)、単なる"バンドの一員"以上の存在であったことが窺える。その余裕さえ感じさせるプレイ、ステージングはとても19歳とは思えないほどだ。Ravensの一員としてアメリカ、ヨーロッパをツアーしたジュードは、次にイギリスのニュー・ウェーブ・バンドThe Recordsのアルバム「Crashes」(1980)に参加し、ベ−シスト件ヴォーカリストとしてここでもかなりの存在感を示した。
  Recordsを脱退した後、再びLAへ戻ったジュードはセッション・ミュージシャンとして数多くの有名アーティストの作品、又ツアーに参加する。ゲスト参加したアルバムだけでもデル・シャノンの「Drop Down And Get Me」(1981)年、デイヴ・エドマンズ「D.E. 7」(1982年・楽曲提供)、テッド・ニュージェント「Nugent」(1982)、パトリック・シモンズ(Doobie Brothers)「Arcade」(1983)等々、80年代前半のジュードはかなりの売れっ子だったことがわかる。しかし、ソロ・アーティストとしての活動を始める夢を持ちつづけていたジュードはソロ・デビューへのチャンスをつかむ為、終にはには全てのセッション活動から身を引いた。恐らく1986〜1987年頃のことだろう、"バーテンダー"で生計を立てつつ製作したというジュードのデモ・テープが運良くピーター・セテラ(元Chicago、当時はソロ)の手に渡り、ピーターを通してジュードの存在を知ったラス・タイトルマン(ワーナー・ブラザーズ重役)が自らジュードのソロ・アルバムのプロデュ−スを買って出ることになったのだ。
Part 2
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