Depeche Mode デペッシュ・モード

Written by phobos

History

Depeche Modeといえば、エレクトリックポップと思う人も多いのではないかと思うが、現在の彼らのサウンドは初期のエレポップからは想像できないDarkでHeavyなものである。「ゴス」(ゴシック)というジャンルに分類されることもあるが、ちょっと違う気もする。本人達も自分たちの音楽ジャンルについて聴かれた時、少し迷って「エレクトリック・メタルってんでどう?」と回答したりしている。ちなみに、Depeche Modeはフランスのファッション雑誌から取った名前(当時DavidがMode系のCollegeに通っていたことに由来するらしい)で、イギリスの雑誌には、「英訳するとFast Fashion」と書いてあった。(Fast Fashionというのは使い捨てるようなファッションのことらしい、というのは、HINEさんに教わって最近知りました。)

日本には90年以来、来日していないということもあり、今ひとつ人気が実感できないが、、このバンド、この手の音楽性でありながら、なんとアメリカでは Staduimバンド(だったこともある)らしい。また、音がHeavyなほうへ変わっていったころに、ドイツで人気が高まり、今でも本国イギリスより大陸側で人気があるようだ。また、おそらく彼ら自身の東欧への想いがあり、Tourにはかならず東欧が入っているのだが、なぜか日本には来ない。昨今のイギリスのMusicianの多くが日本市場の重要性を感じて(日本人の発掘能力も買われているかも)、日本へのマーケティングを忘れないのに対して、いったいDepeはどうなっているのだろうか。もしかすると、これは彼らがMajor Labelと契約をしていないことが関係しているのかもしれない。Debutの時から、Mute RecordというIndiesのLabelから音楽を発信している。もちろん、Muteは全世界へのDistributionについては、MajorなRecord会社を利用しているものの、それらMajorはDistributeしているに過ぎずDepeche Modeを主体的にプロモートするモチベーションが存在していないのではなかろうか。

Early Depeche さて、そんな彼らだが、もとは、Sussex州Basildon(Londonの東にある小都市。日本で言えば柏とかそんな感じか)の単なる学校の同級生バンドで、「一回でいいから自分達のSingleを出して見たかった。」そして「Top of the Popsに出られたら、もう本望。」という程度の想いで始めたようだ。
当初のメンバーは、Vince Clarke, Andrew Fletcher, Martin Gore & Dave Gahanの4人。Dave以外の3人が同級生で、年下でちょっと不良のDaveをBandのFront Manとして誘ったらしいが、普通の男の子だったVinceは、Daveに声をかけるのが恐かったとか。Debutの時は、世の中は、Post Yellow Magic, Post Kraftworkのエレポップ全盛時。その中でも最も典型的な、ピコピコした軽くて楽しいシンセポップを引っさげての登場である。1stSingle「Dreaming of me」(1981)は58位程度に終わるものの、2枚目以降のSingleはほとんどUKChartのBest20 に入っている。

そんな順調なDebutを飾り、「Do we really have to give up our dairy job ?(ほんとに仕事をやめなきゃいけないかな?)」という可愛らしい質問をもちながら、プロのMusicianとしての一歩をふみだした彼らであった。が、1枚目のAlbumを製作し、Tourをしたところで、Depeの創立者でメインソングライターでもあるVince Clarkeが脱退を表明する。これは、FloydからSyd Barrettがいなくなった時や、GenesisからPeter Gabrielが脱退した時と同じようなもの。VinceなしでバンドのIdentityが存続できるのか?と言うまわりの心配をよそに、涼しい顔してMartin GoreがSong Writerを引き継ぐことで解決した。そして発表した4枚目のSingle「See you」(カスみたいな曲だが)はUKChart6位にのぼり過去最高位を記録する。

多少脱線するが、ここで、Depeche Modeを脱退したVince Clerkeのその後について少し説明しておこう。脱退後Vinceは、またまた高校の同級生だったAlison MoyetとYazooを結成し、Only you等のヒットを放つもAlbum2枚を残して解散。つぎに元UndertonesのFergal Sharkeyと組んだAssemblyではNever NeverをリリースしVinceにとっては初のUKNo1ヒットとなる。その後Paul QuinとのProjectを経て、結局彼の安住の地となるErasureの結成に至る。Erasureは、オーディションで選んだAndy BellというVocalistとのDuoだが、Vince ClarkeらしいポップなDance Musicで世界的な成功を収めている。こうして考えると、Vinceがバンドを抜けていなかったらDepeche Modeの音楽性はかなり違った発展を遂げていたことであろう。

Vince脱退後に製作された2枚目のAlbum 「A Broken Frame」(1982)の音楽性は、1枚目のエレポップ路線を継続していた。しかし、彼らの変化のきっかけは、どうやらこのAlbumのPromotion Tourにあったのではないかと思う。この時初めてUSAとFar East (日本を含む)Tourを行なったわけだが、「世の中には、自分の知らなかったような生活をしている人がいる 」ことを実感したらしい。

New Depeそして3枚目の「Construction Time Again」(1983)が発表され、音楽的な変化がはっきりしてくる。このAlbumのジャケットは、雪山を背景に工夫(こうふ)がハンマーを打ち下ろす姿を写した一種ストイックなデザインであり、収録されている曲からLove Songはすっかり姿を消している。このAlbumに収録されているHit Single、Everything Countsの歌詞は、資本主義社会への批判とも取れる内容で、休暇の旅行までが契約でしばられている(企業の思うままになっている)資本主義社会の労働者のことを歌っている。ふと、振り返ってみると2枚目のAlbumは、農婦がカマを使っているジャケットであり、この頃Depeche Modeは、ハンマーとカマ(とクサリと塔)をあしらったマークを使ったりしている。(ハンマーとカマの組み合わせはご存知ソ連の国旗に使われている労働者団結の印)。他には、核戦争への警告や自然破壊、それに精神的な苦痛についての歌などが入っているのだが、題材としては、やや古く、いまさら取り上げる内容なんだろうか?という部分もあった。でも初めて世界を見てきたDepeにとって、世間では語りつくされた社会問題に、自分達も意見を述べてみたかったのかもしれないし、不況の中、サッチャー政権のもとで、大規模な炭鉱閉鎖などが進んでいたイギリスでは意外に社会問題は深刻だったのかもしれない。
ちなみに、私が初めてDepeche Modeに遭遇したのはこのAlbumである。まったくどんなバンドか知らずにこの印象的なジャケットに誘われて購入したのだが、内容としては、全体に暗いエレポップという仕上がりで、ジャケットからイメージした音楽とはちょっと違う。でも、なぜか全編熱心に聞き入ってしまう、不思議な魅力を持ったAlbumであった。これは、David Gahanの歌唱力が寄与するところも大きいのだが、シンセとサンプリング音がリズム楽器として絶妙に使用されている部分に惹かれたのだろう。(私は楽器以外の音を使っている音楽に目が無いのだ。Pink FloydのMoneyやTime、Beatlesも多くの音を使っているがI wanna hold your handsの手拍子にすら、心を奪われる。)ちなみに、それまでTourのサポートメンバーであったAlan WilderがこのAlbumから正式なメンバーとして参加し、Depeche Modeは再び4人組になっている。「有名なバンドがサポートメンバーを募集している」という雑誌の広告を見たAlan Wilderは、年齢をいつわってAuditionを受けたと言われている。彼は、Martin、Andyにくらべて2歳年上で、Classic Pianoを学んだMiddle Class 出身者である。(もちろん他の3人は、Working Class。)Alanの正式加入については、ある雑誌のInterviewで、Daveが「Alanはいろんなサンプリング音源をもっていて、いろいろと提供してくれていたんだ。だけど、ある日、僕を正式メンバーとしないと訴えるぞ。と脅して来たのさ。」と語っていた。コメントの意図がJokeなのかどうか判然としない。なにはともあれ、Alanの加入はDepeche Modeの音楽に大きな影響を与えていると考えられる。なぜならばDepeche Modeの音楽の特徴は、Sampling 音の効果的な使用であったし、またDepeのようなバンドにとって、ミックスダウンが音楽を作りあげる上での鍵を握っていて、AlanはProducer的な作業もできる人だったからだ。Martinが作曲した曲をどのようなアレンジで曲にしていくか、という部分はAlanの貢献が大きく、ProducerやEngineerといっしょに作業をしていたのは主にAlanだったようだ。

そして、1984年の春にSingleのPeople are peopleが発表される。この曲が彼らを全世界レベルに知らしめたと言えよう。おそらく、日本ではこの曲が最もよく知られているのではないだろうか。特に、Peter Barakanがこの曲のビデオを高く評価しており、彼の持ち番組でもよく紹介していたと記憶している。当時は、MTVもBoomというよりは、存在があたりまえというほどに定着してきたころで、Music Clipのできのよしあしが顕著になってきたころであった。People are Peopleのビデオは、それまでも彼らのビデオを製作をしていたClive Richardsonという人の作品だが、以前の作品とくらべて格段のできとなっている。報道映像や自分達自身の映像のコラージュといった作りなのだが、白黒の船中の映像は、映画「戦艦ポチョムキン」を彷彿とさせ、赤の広場とおぼしき画も入っていて嫌でもロシア革命を連想させる。それだけでなく、映像と音声の絶妙な同期がみごと。この時期、Depeは、Sampling音を全面的に押し出しているが、People are peopleも、いきなり金属打音からはじまり、曲の中でも相当使われている。これらの音が、つなぎあわされた映像の動きと完全なる一致を見せているのだ。また、歌詞は、人種差別のことを歌っていると思うが、この映像を見ると階級差別のことにも思える。そう言えば、当時、Martin Goreは、壁崩壊前のBerlinに住んでいたのだから、東欧世界のことを考えずにはいられなかったのかもしれない。

次のSingleのTitleは『Master and Servant』と来たもんだ。これは、前作よりさらにAggressiveな歌詞で、「人生と良く似たゲーム、Master & Servant(ご主人様と召使い)ごっこをしよう、ゲームだけどちょっぴり現実を加味してね、君がMasterさ、僕を犬のように扱ってくれ。」という内容である。ビデオは、この曲をSexualに解釈しろといわんばかりに、4人がLeatherの服装に身をつつみ、鎖で引きづられたりするものだった。Master and ServantってM&Sですもん、あと少しでSMです。(実際Servant and Master MIXというのもあったと思う)そう、Martinはこのころ性的倒錯ごっこに走っていたきらいがあり、Martin "kink" Gore などと書かれていた。

この2曲を収録したAlbum、『Some Great Reword』は、84年の9月に発売される。このAlbumは、全般的にはSingleを踏襲した硬派なものだ。というよりも、Albumの中で『People Are People』は軽めとさえ感じる。つまり前作、『Construction Time Again』に比べて、音がより重厚になり、Rythm Beatが強調されている。エレポップにありがちな物悲しい旋律は減って、HeavyでDarkな曲が多くなっているし、Slowな曲も重いBeatで仕上っている。特に、TopのSomething To Doは2つのSingle以上のできばえだ。しかし、Depeも社会派だけを追求する時期は峠を越えたようで、Heavyな曲の合間に、きっと恋をしているMartinのLove Songらしき歌が挟まっている。MartinはこのAlbumで初のLead Vocalを披露しているが、おそるおそる歌っているような素人くさい歌唱である。

翌85年の4月に、待望の2度目の来日をはたす。1回目の来日では、小さなClubでのGigだったようだが、85年は、渋谷公会堂や中野サンプラザで公演を行っている。Stageは予想通り、3人のシンセサイザー弾きの前で元気に歌って踊るVocalisという構成。つまり、Stageが、もりあがるかどうかはほとんどDavidのPerformanceにかかっている。これについては、後に、Depe のPromoterの人たちも「DrumやGuitarという見せる演奏が無くてStageが成り立つのか?と心配したがDavidは卓越したPerformerだった」と言っている。David Gahanの骨太の歌唱には、当時普通につかわれていた太いケーブル付きのマイクと、マイクスタンドが良く似合っていた。マイクスタンドをやや倒しながらマイクに声を注ぎ込もうとするかのような唄い方はこのころからのものである。一方、歌っていないときの彼のDanceは、Charming。観客に背を向けてお尻を振りながら横移動したり、腕を伸ばしてくるくると回るというような可愛らしいパフォーマンスで女性ファンを魅了した。一方後方の3人は、黒いLeatherに身を包み、ほとんど職業的にKeyboardを弾いたり、リズム用PADや鉄板を叩いたりしている。特に印象的だったのは、演奏の途中で、フロッピーディスクを入れ替えている姿。この裏方的所作がStageでのDavidとの立場の大きな違いを物語っている。ちなみにKinky Martinは、その日は、LeatherのミニSkirtをはいていたのだが、ケースから一枚選んで取り出そうとした時に、床に落としてしまった。それを、かがんで拾うときに、Skirtの中が見えそうでハラハラしたもんだ。あのフロッピーはたしか、3.5インチではなく5インチだったなぁ。
それはそれとして、コンサートは満足の行くものであった。Davidはアンコールで唄うヒット曲『Everything Counts』のさびはマイクを向けて観客にうたわせていた。しかし、『Everything Counts』のさびの歌詞は、日本人には理解できない文章なのであまりみんな歌えなかった。その歌詞は、 "The grabbing hands grab all they can. Everything counts in large amounts." というもの。

Tourの後、Best版をはさんで、『Black Celebration』(1986)の発売となる。このAlbumはDepeche Modeが自己の世界に到達した感のあるできばえである。これまでが模索の期間、頂点を探しながら登っていたとするならば、これはいよいよ目指す高みに達して、すべてが見渡せる状態で、その世界を体現したとでも言おうか。音作りにも余裕が感じられて聴いていて肩がこらないし、曲というより、Artという領域での作品になっている。ただ、それだけに、この世界に入りたい人だけの音楽になってきていて、もう、Pop Idolではあり得ない、Cult Bandの道を歩き出している。

そして、『Music for the Masses』(1987)。このTitleは、あるClassicRecordのTitleでMisic for the Millionと言うものに着想を得たというが、イギリス人らしい自嘲的なJokeだ。自分達の音楽が誰にでも受け入れられるタイプのものではないことを皮肉ってこのTitleにしたらしい。そんな皮肉が、皮肉には取れなくなってしまう結果が待ち受けていた。USでのBreakである。このころから、Depeche Modeは、いよいよ受け入れられない本国(のPress)に見切りを付けた感はある。Tourもヨーロッパ大陸、北アメリカを先に回っており、その後のUKのTourは大都市だけを回るおざなりなものだ。この後日本を回ってこのTourでは2度めの北米ツアーを行っている。USTourの様子はVideo 『101』に収録されているが、この頃のUSにおけるDepeche Modeの人気はうなぎのぼりだったようだ。Los Angelsのレコード屋で行ったサイン会には、15000人が押しかけ暴動になりかけて中止、TVのNewsで放送されるような事件になってしまった。象徴的に、このTourの最後は、8万人収容のPasadinaのRosebowlというStadiumで行われ、大成功に終わっている。
私にとって、この事実はちょっと受け入れがたい。音から言って、ドイツで人気が出るのはまだわかるとしても、あのノー天気なアメリカ人の方がイギリス人よりもDepeche Modeを理解した、なんて。もちろん、彼らの人気は、東西都市部に集中しており、南部での集客はさほどのものではなかったにしても、だ。『101』では、このビデオの演出として8人くらいのファンをTourに同行させて彼らの様子もいっしょに紹介しているのだが、その若者達は、アメリカ人にしちゃあお洒落な奴らだし、Gayらしき人もいる。つまり、Depeche Modeのファンは、Seriousな政治的若者というわけでもなく、共産主義者でもなく、東側を撲滅したいと願う人でもなく、単にHeavy Metalよりもう少しお洒落なものを聴きたい先端的な若者だったのか。

長いTourと『101』というTitleのLiveの後に発売された『Violator』(1990)は、おそらく、UKのpressにやっとDepeche Modeがピコピコエレポップアイドルじゃなかったことを思い出させたAlbumなんだろう。(それまでも実はすべてのAlbumがUKChartでTop10 に入っているのだが。つまりCriticsは実売を無視してDepeに冷たかった。)このAlbumはUK Album Chart過去最高の2位となっている。
2006年に発売された5.1CH版の『Violator』に挿入されていたVideo Documentary(title: "If you wanna use guitars, use guitars")では、メンバーも、多くの関係者もこのAlbumが一番だ、と語っている。音楽的には、この前の2枚の方向を引き継いでいるが、DocumentaryのTitleの通りエレキギターをFeatureしている。Producerは、これまでもMute LabelのRecordでたびたびEngineerとしてCreditされていたFlood。FloodはDepeに殻を破るように説得したようで、Guitarを使うこともそのひとつ。また、以前使った音源は使わない、と決めてた彼らにそんな規則は必要はないと言ったらしい。そして、MartinのBasicなアイディアを元に録音した後、AlanとFloodで音を加え曲を作りこんでいったようだ。Singleになっている 『Personal Jesus』はGuitarのリフを効果的に使ったキャッチーな曲である。(ちなみに、Black Celebration〜Violatorの時期のDepeのSingleは秀作ぞろいである。)
Violator TourのUS 公演はさらに規模が大きくなっており、Giants StadiumやDodgers Stadiumが含まれているし、そうでなくとも1〜2万人収容のVenueばかりで40回以上のShowが行われている。ちなみに、このTourでの東京の公演は武道館だった。(5度めにして、最後の来日公演となる)この時の彼らのShowを見た印象は、一言で言って、「Bigになってしまったんだ」ということであった。DavidのActionは明らかにStudiumを意識したものに変わっていたし、MartinはGuitarをもってStageを歩き回り、DavidとともにShowを盛り上げるのに一役買っていた。彼らのShowは完成されたものになっており、Depeche Modeの音楽と、音と、Davidの声があいまって、そこには、宗教的とも言って良い空間が出来上がるのだった。まさにCult的で、観客はDavid Gahanの魔術に酔いしれるという風情。
初めてConstruction Time againを聴いた時、Walkmanで聴くためのCassetteTapeのCouplingはEcho & The Bunnymenだった。両方ともとても好きなバンドだったけど、エコバニはすでにNew Waveの世界では地位を確立しており、「私が応援しなくてもやっていけるんだから、Depeche Modeを応援しなければ」と思ったものだった。だが、この時期になると、Depeche Modeは、エコバニをはるかに越えていて、もう、私の応援などは必要としないまでに大きくなっていたのだった。

この後、しばらくの沈黙をやぶり、『Songs of faith and devotion』(1993)が発表される。記録を見ると、『Music For the Masses』と『Violator』もStudio Albumとしては3年の間隔があるのだが、『101』というLiveAlbumを挟んでいたせいか、それほど長い間隔には感じられなかった。一方、『Violator』の後は、感覚的には、いったんDepeche ModeはSceneから消えたという印象がある。実際TourとRecordingに明け暮れていた彼らは、Violator Tourの後1年くらいはオフを取ったらしい。
そして製作された、神経に触るNoiseで始まるこのAlbumは、良い意味での成熟感が感じられる。『Black Celebration』から続いたDepeche 帝国を解体し、Rockの域に踏み込んだとでも言えば良いのだろうか。Hippieのように髪を長く伸ばして妙につやっぽくなったDavid Gahanは、よりHeartfulな歌唱になっているし、シンセ以外の楽器もGuitarだけでなく、普通のDrumsetが使われていたらしい。Devotional TourではAlanが実際にDrumsを演奏していたし、女性Chorusも連れていた。特に、2nd Singleの『Comndemnation』は、それまでのDepech Modeのどの曲にも似ないAcousticでSoulfulな曲である。私個人では、作品という意味で、このAlbumは、Black Celebrationと並ぶできだと思っている。このAlbumにつづき、同内容を全部Liveで録音したCDをリリースしていることも、彼ら自身のこのAlbumに対する思い入れを示しているのではないだろうか。『Songs of Faith and Devotion』は、池の両側(both side of the pond:USとUKと言う意味)で初のNo.1を達成している。Album発売後に(またもや)欧州大陸を皮切りにTourを開始し、欧州で40のShow,北米で50のShowを行ったあと、12月にUKに戻り5箇所を回ってTourを終了している。さらに翌年94年には、南ア、アジア、豪州、南米、そして再び北米を回るTourをしている。一見充実した活動をしているように見えて、実はバンドはあまり健全な状態ではなかったようだ。まず、David GahanはHeroin中毒に陥っていたし、Andyは鬱病に悩まされていたとか。そして、おそらく、Alan WilderはBandとの折り合いをどうつけようかと苦悩していたと推測される。

Latest この後、Dave Gahanは自殺しかけたとか(いったん心臓が停止したと報道されている)、Alan Wilderが脱退したとか、NegativeなNewsが続いたが、97年に『ULTRA』をリリースする。実は、この時、U.K.に在住だった私は、Depeche ModeがTop Of the Pops(UKのTV番組)に出ていたのも観たりしているのだ。しかし、生活に追われて心がすさんでいたこともあると思うが、そこいらのSuper MarketでCDをGetはするものの、全く興味を持てずにほとんど聴かずじまいであった。商業的には、UK1位、US5位というそこそこの成功を収めているのだが、やはり、Alan Wilderが居ないDepeche Modeというのは(彼が一番ハンサムだったことを差し引いても)音的に、つまらない感じになってしまうのは否めない。Alanが抜けた理由ははっきりはわからないが、周りの人々の推測では、「彼のContributionがバンドに正等に評価されていないこと」ではないかと言われている。たしかに、長い間いっしょにやってきていても、BasildonのWorking Classの少年達とLondonのMiddle Classのやや年上の彼の間には、絆の強さの違いが存在し続けたのかもしれない。また、過去2枚のAlbumでProduceを手がけていたFloodもこのAlbumではCreditされていない。Depeche Mode臭はするものの、Mute Labelがもともと得意とする普通のIndustrial系、Alternative系の音に寄っている。『Songs..』に現れたタイプのHumanityは再び封印された。しかも、おそらく、まだ、いろんな痛手から完全に立ち直っていなかったせいなのか、このAlbumのPromotional Tourは行なわれていない。

翌98年に『Singles 86 - 98』 というBest 版を発売し、97年の反省というかおわびというのか、Singles Tourを行った。私もやっと、生活に余裕ができていて、イギリス人の友人達とBirminghamまで見に行ったものだ。Titleどおり自分達のSingleの曲だけを演奏してくれたので、そりゃあ、乗りが良かった。Davidは、Heroinは克服したようで、非常に元気だったし、Bodyは引き締まっていたし、Hair Styleは80年代のFlat Topに戻していてとても若返ってみえたし、あの声も健在だった。1st albumからのSingle、Just can't get enoughもやってくれたのだ。本当に楽しいConcertだった。

ただ、U.K.はComedyの時代だったのだ。多くの有能なイギリス人の若者は、Comedianを目指していたし、Comedianの中にはMusicianくずれの人も多く、90年代のComedyShowは音楽的なテンポがあり、まじめな音楽よりも面白かった。時代に流されやすい私は、Depeche Modeをそれ以上Followしなかった。

2001年に『Excitor』というAlbumが発売されたが、ついぞ聞いたことがない。

そして、2005年『Playing the Angel』が発売される。『Violator』の時代を彷彿とさせる、という下馬評の通り、『ULTRA』の退屈さでは無い。比較的キャッチーでテンポの速い曲が多く、Dave Gahanの声もより力強くなっている。また、Martin Goreの歌もこのAlbumともなれば相当上手くなっていて、Macroを歌っているのが、Martinだったとは、コンサートで観るまで気づかなかったほどだ。Showは以前と変わりない妖艶さだ。SingleばかりをやるShowの後半からは、Davidは半分くらいは唄っていない。観客にマイクを向けてニコニコしているのだ。観客はDavidに請われるままに全員が大合唱するし、腕を左右に振れと言われれば全員が腕を左右に振る。それを見ている満足そうなDavid。つかの間のDictator気分を味わっているかのようだ。
Tourは、北米を皮切りに欧州大陸、UKそして再びアメリカ大陸Tourをした後、今また、Festival Seasonの欧州に戻っている。David GahanのPerformanceは相変わらず、フェロモン撒き散らすタイプのもので、Performerという点に絞って言えば、Mick Jaggerに迫る勢いかもしれない。ただしMickの時代と違って、現在のDavidは、Sex Symbolというより、Gay Iconというのがふさわしいように思う。彼自身はともかく、LondonのShowに集まってきた観客の6割〜7割は男性で、その中の何割かは見るからにGay Coupleだ。

結局、Biography風にDepeche Modeの全歴史を書いてしまったが、このようなRock Sceanの表舞台にあまり出てこないバンドが、これだけ長期間にわたって活動していけるのは、彼らの強いTeam Workと人気があったからで、本当にファンのわれわれにとってはうれしいことだ。 これだけの期間、Cult的人気を誇っている彼らだけに、Depeche Mode Tribute Recordのようなものが何種類も発売されている。(Amazon.comで、Depeche Mode, Tributeでサーチをかけるとその数の多さにびっくりする)また、2006年春、Nissan MarchのTV CMでJust can't get enoughの女性によるカバーバージョンが使われているのに気づいた人も多いだろう。この曲は、2000年にも他のカバーバージョンがGapのTV CMで使われていた。作曲家である、Vince Clarkeはにんまり、というところか。

( by phobos Jun 2006 )
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