THE POLICE ポリス

 70年代後期、イギリスではあまりにも装飾華美となったクラシック・ロックに対し、その反動ともいえるパンク・ブームが巻き起こり、ブリティッシュ・ハードやプログレの大物バンドたちが次々と姿を消していった。
 だが、ここ日本やアメリカでは、まだロックを聞くリスナー側がイギリスほど成熟しておらず、パンクは一部では熱狂的に支持されたものの、もっともっとクラシック・ロックを聞きつづけていたいと思うリスナーが多く存在した。そのため、聞くモノがなくなりロック自体に興味をなくしてしまった人や、アメリカン・ハードやアメリカン・プログレへ乗り換えるロック・ファンも多くいた。
 実際、クラシック・ロック好きだった自分などは、ロンドン・パンクの中でもセックス・ピストルズやクラッシュだけは、好き嫌いは別として、ある程度認めていたものの、あとは似たり寄ったりで、演奏も酷いし、曲もほとんど同じで、パンク・ムーヴメント自体になんの魅力も感じなかった。ただし、ある1つのバンドを除いてはの話だ・・・。
 そのパンク・ブームの中から抜け出した、ただ1つのインテリジェンスを感じさせるバンドの名はPOLICE。

メンバー

Sting スティング/ヴォーカル、ベース(1976年〜1986年) *幼いころ黄色と黒の縞模様のジャージばかり着ていたのでスティングというニックネームがついた
Stewart Copeland スチュワート・コープランド/ドラムス、ヴォーカル(1976年〜1986年)
Henri Padovani ヘンリー・パドヴァーニ/ギター(1977年1月〜8月)

Andy Summers アンディ・サマーズ/ギター、ヴォーカル(1977年6月〜1986年)


 ポリスの歴史は1976年、英ニュー・キャッスルで高校の教師をするかたわらラスト・エグズィットというジャズ・ロック・バンドで活動していたスティング(本名:ゴードン・マシュー・サマー)と、後にBTMやIRSレコードの社長となるマイルス・コープランドを兄に持ち、74年からプログレ・バンドカーヴド・エアー」のメンバーとして活躍していたスチュワート・コープランドが出逢うことからはじまった。
 スチュワートは、カーヴド・エアー加入後2枚のアルバムに参加した後、このバンドの女性シンガー、ソーニャ・クリスティーナと結婚。76年にバンドも解散し、たまたまステージを見て気に入ったラスト・エグズィットのスティングを誘い、ロンドンでニュー・バンド「ポリス」を結成することにした。
 翌1977年には、プログレッシヴ・ポップ・バンドにいたフランス人ギタリスト、ヘンリー・パドバニも迎え本格的に活動を開始。スチュワートの兄マイルスが設立したイーガル・レコードからシングル「フォール・アウト」でデビューした。
 その直後、元ゴングのマイク・ハウレット(b)の頼みでストロンチュウム90というプロジェクトに参加したスティングとスチュワートは、そこで元ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド〜ソフト・マシーンアニマルズ〜ケヴィン・エアーズ・バンドなどを転々としていた腕利きギタリストのアンディ・サマーズと出逢い意気投合。アンディはそのままポリスへ加入することとなった。
 ところが、この4人編成ポリスは同年8月ヘンリーが脱退することであっけなく終わり、再びトリオ編成として活動してゆくことになる。

 その後の彼らは、かなり頭脳犯的な方法でビッグなバンドへと成長してゆく。当初その経歴をお首にも出さずパンク・バンドとして売り込んでいた彼らは、パンク・ブームの追い風を受けラッキーにもA&Mとすんなり契約する(スチュワートの兄マイルスの後押しもあったという)。
 イギリスではパンク・バンドとして扱われ、曲の内容も問題(娼婦や自殺について詞っていた)で放送禁止になりながらも、彼らは78年にデビュー・シングル「ロクサーヌ」とセカンド・シングル「キャント・スタンド・ルージング・ユー」(英42位)で逆に知名度をあげていった。また同時に、当時の妻であり女優でもあったフランシス・トメリィの紹介でモデルの仕事も兼業していたスティングは、この年の9月に映画「さらば青春の光」(ザ・フーの「四重人格」の映画化)にも出演。
 この後ポリスは10月に全米ツアーを行い、11月にファースト・アルバム「アウトランドス・ダムール」を発表と、精力的な活動をつづけた。その甲斐あって、このデビュー・アルバムは翌79年になって大ヒットを記録することとなる。また、79年にはスティング出演の映画が公開されたこともあって、一躍ポリスとスティングの名は急速に有名になっていった。

 さて、ここから彼らは本性をむき出しにし、本領を発揮する。
 まず、79年9月にシングル「孤独のメッセージ」を発表し、全英No.1をあっけなく手中にした彼らは、他のパンク・バンドとは異次元のテクニカルで高度なサウンドをもったセカンド・アルバム「白いレガッタ」をリリース。レゲエ、ジャズ、ファンク、プログレ、パンクを巧みに取り入れたロック・サウンドは、まさにニュー・ウェイヴとしか言いようのない衝撃サウンドだった。このアルバムからはもう1曲「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」を全英No.1に送り込み、アルバム自体は全英で4週間もトップに輝く大ヒットとなった。
 その人気はアメリカへも飛び火し、全米でも「孤独のメッセージ」が74位、アルバムは25位にも達する。この人気に慌てたA&Mは急遽ファースト・シングル「ロクセーヌ」と「キャント・スタンド・ルージング・ユー」を再発売したところ、「ロクセーヌ」は全英12位/全米32位のヒット、「キャント・スタンド・ルージング・ユー」は全英2位の大ヒットを記録した。そしてまたファースト・アルバムも先にも触れたとおり、全英6位/全米23位のビッグ・ヒットを記録してしまったのだ。
 80年には日本を含む世界19カ国37都市にもおよぶツアーを終え、シングル「高校教師」とサード・アルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」をリリース。アルバムはワールド・ツアーでの経験を生かした世界各国の音楽の影響を感じさせる内容であり、このおかしなアルバム・タイトルも、日本のZEN(禅)やフランス語のMonde(世界)などを組み合わせた造語らしい。そして、ここでもシングル「高校教師」は全英で4週にわたってNo.1となり(全米10位)、アルバムは全英1位/全米5位と、それまでの最高位を記録した。また、つづいてシングル・カットした「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」も全英5位/全米10位を記録し、彼らの世界規模での人気を決定づけた。おまけに、彼らはこの年「白いレガッタ」でグラミー賞Best Rock Instrumental Performanceまで受賞している。

 81年に入り、二度目の来日公演を果たした彼らは、コープランド兄弟とA&Mが共同制作した映画「Urgh! A Music War」に揃って出演。秋には4作目のアルバム「ゴースト・イン・ザ・マシーン」も発表した。このアルバムからは「インヴィジブル・サン」(全英2位)、「マジック」(全英1位/全米3位)、「マテリアル・ワールド」(全英12位/全米11位)のヒットも生み、アルバム自体も全英1位/全米3位と絶好調。しかし、しだいに各メンバーのソロ活動が盛んになり、バンドとしての活動はほとんど停止してしまった。その間スティングは映画「プリムストン&トリークル」で主役を演じて見せたりしていた。(サウンドトラックにも2曲提供)

 その後、解散説も危ぶまれる中、83年になって突如としてシングル「見つめていたい」を発表し、ポリスとしての活動を再開。この曲は瞬く間に全英/全米を制覇し(全英・全米共に1位)、翌月発売されたアルバム「シンクロニシティー」も軽く全英/全米No.1と、追随する他のニュー・ウェイヴ・アーティストたちへ貫禄をみせつけた。さらにこのアルバムからは、「アラウンド・ユア・フィンガー」(全英9位/全米8位)、「シンクロニシティーII」(全英17位/全米16位)、「キング・オブ・ペイン」(全英17位/全米3位)のシングル・ヒットも連発し、その年のグラミー賞Song of the YearとBest Pop Groupまで獲得した。だが、その後またもや活動を停止。スティングが85年にソロ・アルバム「ブルー・タートルの夢」をリリースしたことから再び解散説が囁かれはじめ、86年ニュー・レコーディングされた「高校教師'86」とベスト・アルバム「ポリス・ザ・シングルズ〜見つめていたい」を発表し一時的に復活したのを最後に、それは現実のものとなってしまった。

 ポリス解散後も順調な活動をつづけるスティングは、87年にアルバム「ナッシング・ライク・ザ・サン」を全英No.1(全米9位)に送り込み、91年にもアルバム「ソウル・ケージ」を全英No.1(全米2位)に、93年にはソロとしてもグラミー賞最優秀男性ヴォーカルを受賞している。そして94年ブライアン・アダムス、ロッド・スチュワートと共に唄った映画「三銃士」の主題歌「オール・フォー・ラヴ」では、ソロとして初の全米No.1(全英2位)に輝くなど、その勢いはまったく衰えを知らない。
 スチュワート・コープランドは、ポリス解散後映画音楽やバレエ団、オペラの音楽などを担当した後、ジャズ界の名ベーシスト、スタンリー・クラークらとアニマル・ロジックを結成。89年に「ハウス・オブ・ラヴ」、91年に「アニマル・ロジック」と、2枚のアルバムを残している。
 一方、アンディ・サマーズはポリス在籍中からロバート・フリップ(キング・クリムゾン/g)に接近し、彼とのユニットで82年にはアルバム「心象風景」、84年には「擬制の映像」を発表していた。ポリス解散後はギター・インストゥルメンタルを追求し、ハービー・ハンコック(key)、ビル・エヴァンス(horn)といったジャズ・ミュージシャンや、ソフトマシーンつながりのジョン・エサリッジ(g)と組んでアコースティック・ギター・ユニットを結成し、93年アルバム「インヴィジブル・スレッズ」を発表するなど、ジャズ系アーティストとの共演が多い。また、95年には突如ポリスの79年と83年のライヴを収録したアルバム「ポリス・ライヴ」を自らプロデュースし、発表している。

 その後も三者三様の活動をそれぞれ地道に続けていたが、2003年ロックンロール殿堂入り式典(Rock & Roll Hall of Fame)で3人が集結。そこでポリスとして3曲を披露し、この後彼らは再び交流を深めていった。また、スチュワート・コープランドが1978年〜83年の5年間、8ミリカメラで撮影していた映像をもとに作られたドキュメンタリー作品「ポリス インサイド・アウト」がきっかけとなり、彼らは再結成することを決意。そしてなんと2007年第49回グラミー賞式授賞式で再結成ライヴを行ったのだった。この後、日本を含むワールド・ツアーも予定されている。

 今思うと彼らの歩んだ道のりは、サウンド形態は違えど、実験を繰り返しながらも常にヒット曲を生産し続けたという意味で、ビートルズレッド・ツェッペリンにも似ている。新しい音楽を創造し、ロック界全体を牽引したという意味でもその2大ビッグ・スターに匹敵する歴史的バンドだった。そして、何よりその歴史的瞬間をリアルタイムで見ることができたという点で、自分にとっては非常に想い出深いバンドでもある。
 そのシンプルな音作りの中に隠された高度なサウンド・アレンジ。どんな曲調にも対応できる見事な演奏テクニック。そして、どこか寂しげなスティングの乾いた歌声とクールなルックス・・・。どれをとってもこの3人にしか成し得なかった奇跡の結晶だった。(HINE)
2007.3

協力:Newkさん



Outlandos D'amour
Universal/A&M

Reggatta De Blanc
Universal/A&M

Zenyatta Mondatta
Universal/A&M

Ghost In The Machine
Universal/A&M

Police Live
Universal/A&M

ディスコ・グラフィー

1978年 Outlandos D'amour(アウトランドス・ダムール)*名曲「ロクサーヌ」収録。パンク・バンドとして売り出され、ジャケ写などもパンクっぽい
1979年 Reggatta De Blanc(白いレガッタ)*「孤独のメッセージ」収録。本性を現し先進サウンドで周囲を驚かせた名作。全英4週間No.1を記録
1980年 Zenyatta Mondatta(ゼニヤッタ・モンダッタ)*「ドゥドゥドゥ・ダダダ」が大ヒット。米での人気も決定づけた。全英1位/全米5位
1981年 Ghost In The Machine(ゴースト・イン・ザ・マシーン)*「インヴィジブル・サン」「マジック」「マテリアル・ワールド」が大ヒット。全英1位/全米2位を記録
1983年 Synchronicity(シンクロニシティー)*「見つめていたい」収録。ポリスの最高傑作にしてラスト・アルバム。英・米ともにNo.1に輝く
1986年 Every Breath You Take〜Police The Singles(ポリス・ザ・シングルス〜見つめていたい)
*新録音による「高校教師86」を含むベスト
1992年 Greatest Hits(グレイテスト・ヒッツ)
*ヒット曲を網羅したベスト16曲
1993年 Message In A Box(メッセージ・イン・ア・ボックス)*映画「プリムストン&トリークル」のサントラ2曲を含むボックス・セット
1995年 Police Live(ポリス・ライヴ)*79年と83年のアメリカ公演を収録した2枚組ライヴ盤


★★★名盤PICK UP★★★

シンクロニシティー
SYNCHRONICITY

ポリス
The Police

1983年 Universal/A&M

1.シンクロニシティー I
 Synchronicity I

2.ウォーキング・イン・ユア・フットステップ
 Walking In Your Footsteps

3.オー・マイ・ゴッド
 O My God

4.マザー
 Mother

5.ミス・グラデンコ
 Miss Gradenko

6.シンクロニシティー II
 Synchronicity II

7.見つめていたい
 Every Breath You Take

8.キング・オブ・ペイン
 King Of Pain

9.アラウンド・ユア・フィンガー
 Wrapped Around Your Finger

10.サハラ砂漠でお茶を
 Tea In The Sahara

11.マーダー・バイ・ナンバーズ
 Murder By Numbers

70年代前半に活躍したほとんどのバンドたちが、どんどん緻密で装飾的なサウンドになっていったのに対し、彼らはどんどん贅肉をそぎ落とし、シンプルなサウンドの中に幅広い音楽のエッセンスを詰め込んだ。今思うと、「ニューウェイヴ」とひとくくりにされては失礼なほど、彼らの音楽は高度で、その後のオルタナ系サウンドをも飲み込んでしまうほど先進的なものであった。
彼らのこれまでのアルバムには、常に実験的要素をもった曲が大半を占め、良作はあっても名盤とまで呼べるようなものはなかったように思う。しかし、このアルバムでは、彼らのそういった試行錯誤の進化の歴史を集大成したような側面もあり、パンクやプログレ、ジャズ、ラテン、アフリカン・ビート、レゲエなどのテイストをちりばめながら、それを実験的なものとして終わらさずに、ポップなメロディーに乗せ、とても聞きやすく仕上げている。いわばポリス・サウンドの完成型とも言えるだろう。
まず1曲目は、ポップでハイテンション、初期からのファンも納得させるノリの良いロック・ナンバー。シングルになっても良さそうな曲だが他に名曲がありすぎてシングル・カットには至っていない。
つづく2.では、うって変わってアフリカの民族音楽っぽい曲調。スティングの哀愁を帯びた歌声もピッタリはまっている。上手い!
3.はソロになってからのスティングを想わせるジャズっぽい曲。後半のサックスもなかなかいい。
4.はアンディ・サマーズの曲で、めずらしく彼自身が唄っている(叫んでる?)のだろうか!?スティングの声ではないようだ。この曲はアルバム中でも一番の異色曲で、まるで気が狂れているかのような唄いっぷりが面白い。
5.は唯一コープランドの作。ラテンっぽい曲調だが、ドラマーの曲らしく普通のリズムではないところがミソ。
つづく6.〜9.は名曲オンパレード。まずは6の「シンクロニシティーII」。1.と曲名は同じだが、共通点はアップ・テンポというだけで、まったくの別メロディー。おそらく歌詞に関連があるのだろう。この曲はサード・シングルとなり、全英17位/全米16位のスマッシュ・ヒットを記録している。
7.は言わずと知れたポリス最大のヒット曲で、全英全米ともに1位、なんと米ビルボード誌に8週も連続でNo.1に居座りつづけた。その時点では、ビートルズの「ヘイジュード」がもつ9週連続No.1に次ぐ2番目の記録だった。
8.は木琴(?)とピアノで静かにリズムを刻む音に始まり、そこへスティングの寂しげな声がこだまする。静寂から一変してディストーションのかかったギターと共にハードなサウンドへと移り変わる。こういった展開は、後のオルタナティヴ系アーチストが好んでよくやる手法だ。この曲もシングル・カットされ、全英17位/全米3位の大ヒット。
まだまだ名曲は続く・・・。9.は個人的に一番大好きな曲。シンプルで繰り返しが多いメロディーだが、スティングのどこか寂しげで乾いた声やコープランドの巧みなドラミングを生かしきった名曲中の名曲だ。英ではセカンド・シングルとして7位まで上昇。米では4th.シングルにも関わらず8位まで上昇するという驚異的な人気を示していた。
終盤残り2曲は、もうほとんどスティングのソロのような印象。非常にシンプルな「骨と皮だけ」のような演奏で、どちらもジャズっぽい。サマーズのギターは、もはや効果音的に使われるだけ。しかし、ラスト11曲目のコープランドのドラムはかっこいい!

シンプルな中にも計算し尽くされた構成が光り、メロディーもいい。その昔、ビートルズがオールドウェイヴ的なロックの切り口をすべてやり尽くしてしまったとすれば、ポリスのこのアルバムまでの道のりは、その後現在に至るニュー・ウェイヴ的(グランジやオルタナティウも含む)サウンドをすべてやり尽くしてしまったと言えるのではないだろうか。(HINE)