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クラシック・ミュージックから音楽を聞き始め、しだいにポップス〜ロックへと移っていった自分のような者にとって、E.L.O.のサウンドはなんとも耳障りが良く心地よい。もちろんそうでないリスナーの方でも、彼らのポップ・センスやストリングス・アレンジの妙には少なからず感心させられるはずだ。 クラシック・ミュージックらしさを凝縮したような弦楽器による世界最小のオーケストレーション。ビートルズ顔負けのキャッチーさを持つポップなメロディ・ライン。これらはいずれもジェフ・リンというモジャモジャ頭の1人の天才による導きがあって生まれたようなものだ。しかしまた一方で、その完成された素晴らしいサウンドを破壊し、E.L.O.を単なるポップ・バンドにしてしまったのも彼自身の仕業だ。 ただし、これでE.L.O.本来のサウンド自体が消えてしまったわけではない。ドラムのベヴを中心に再度姿を現したE.L.O. Part IIでは、あの全盛期のE.L.O.サウンドを見事に蘇らせ継承してみせたのだ。そのE.L.O.サウンド再生に関わったのは、メンバーのみならずたくさんのスタッフたちだった。その見事な仕事ぶりをみれば、彼らが皆いかに往年のE.L.O.サウンドを愛していたのかが分かるはずだ。 83年の「シークレット・メッセージ」、86年の「バランス・オブ・パワー」と、明らかにジャフ・リンのソロ・アルバムをE.L.O.名義でリリースしていた感のある本家E.L.O.は、88年にジェフ・リン自らが「もはやE.L.O.でやるべきことはない」という発言をしたことで自然消滅。ジェフはプロデューサー業に精を出し、他のメンバーもちりぢりになっていった。 E.L.O.のオリジナル・メンバーとしてジェフと活動をずっと共にしてきたベヴ・ベヴァン(ds)も、ムーヴ(E.L.O.生みの親ロイ・ウッドのバンド)の再結成プロジェクトに参加したり、ブラック・サバスへ加入('87)したりと、すでにE.L.O.からは遠ざかっていたが、ジェフがE.L.O.を辞めると知ると、すぐにE.L.O.再生のために動き出す。 まず、ベヴが声をかけたのが、E.L.O.の創始者であるロイ・ウッド。だが、彼には断られたため新たにメンバーを捜すこととなる。89年ミート・ローフの盟友ジム・スタインマンの親友であったエリック・トロイヤー(key)と元クライマックス・ブルース・バンドのピート・ヘイコック(g,vo)、セッション・マンとして活動していたニール・ロックウッド(vo)を誘いバンド結成までこぎ着けた。だが、ここで問題となるのがバンドの名称で、ジェフ・リンはベヴの要請を受けてE.L.O.という名称の使用権を譲渡したらしいが、レコード会社間の法律的障害からE.L.O.という名前は使えず、E.L.O. part IIという名称に落ち着いたようだ。 アルバムのレコーディングに当たっては、元E.L.O.のメンバーであったミック・カミンスキー(violin)にも参加を依頼し、カンサスのプロデュースでも知られるヴェテラン・プロデューサー、ジェフ・グリックスマンを迎えて完成させ、91年に「銀河の探索者(Electric Light Orchestra Part Two)」というタイトルでアルバム・デビューした。 ポップでドラマティックな曲調に大仰なオーケストラ・アレンジ、そう、これはまさしくE.L.O.の全盛期「アウト・オブ・ザ・ブルー」時代のサウンドだ!「レッド・アラート(Honest Men)」「エヴリ・ナイト」「ワンス・アポンナ・タイム」「キス・ミー・レッド」など名曲も多く、往年のファンからすれば涙なしには聞けない内容だった。しかしながら、よく聞けば曲ごとに作者が違うこともあって、アルバム全体としては若干ポップさに欠け、統一感がないことも否めない。 その後行ったヨーロッパ・ツアーでは、Orkestraオーケストラというバンド名でミック・カミンスキーと共に活動していた、やはり元E.L.O.のケリー・グロウカット(b,vo)や、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラの指揮者であり、E.L.O.やE.L.O Part IIでも共に仕事をしてきたルイス・クラークの協力を得た他、元E.L.O.のメンバー、Hugh McDowell ヒュー・マクドウェル(cello)までも加えていた。また、同ツアーのうち、91年のモスクワ・シンフォニック・オーケストラが参加したバーミンガム公演をライヴ・レコーディングし、「Performing ELO's Greatest Hits Live」として92年にアルバム・リリースもしている。 その後、ギターのピートとヴォーカルのニールが脱退すると、新たに元トリック・スターのフィル・ベイツ(vo,g)を加え、ミック・カミンスキー、ケリー・グロウカット、更にはなんとルイス・クラークまで正式メンバーとして迎え、次のアルバム制作に取りかかった。 94年に発表されたこのアルバム「モーメント・オブ・トゥルース」の出来は素晴らしく、軽く前作を上回るどころか、往年のE.L.O.のどのアルバムと比較してみてもまったく遜色のない名作となっていた。 そのままこのメンバーでツアーも行い、95年のシドニーの公演をライヴ盤「One Night Live in Australia」としてシングル・ディスクで97年に、収録曲を増やした2枚組で99年にリリースしている。 その後ヴォーカルのフィルが脱退しパーシェノン・ヒューレイ(vo,g)が加入するが、ニュー・アルバムはリリースしないまま、99年にE.L.O. Part IIの創始者でもあったベヴが脱退してしまった。ベヴの代役としては若いゴードン・タウンゼント(ds,vo)が迎えられ、バンドはそのまま活動を続行するが、ここで問題となるのがまたバンド名で、ベヴがいなくなったことで、再びE.L.O.の名称は使えなくなってしまったのだ。 しかたなく、バンドはThe Orchestraという名称に変更し活動を再開。2001年にはアルバム「No Rewind」を完成させ、自らの公式サイトでセルフ・リリースし、現在も活動中だ。 本家E.L.O.はジェフ・リンが復帰して再びポップ・バンドとなってしまったが、昔からのE.L.O.ファンとしては、いつの日かまたあの「世界最小のオーケストラ集団」として本家E.L.O.とこのThe Orchestraが合体し蘇って欲しいと願わずにはいられない。 (HINE) 2006.4 ■MEMBER *現在のメンバーは赤文字 Bev Bevan ベヴ・ベヴァン/ドラムス、パーカッション、バック・ヴォーカル (1988〜1999) Eric Troyer エリック・トロイヤー/キーボード、リード&バック・ヴォーカル (1989〜) Neil Lockwood ニール・ロックウッド/リード&バック・ヴォーカル (1989〜1992?) Peter Haycock ピート・ヘイコック/ギター、ベース・ギター、リード&バック・ヴォーカル (1989〜1992?) Mik Kaminski ミック・カミンスキー/ヴァイオリン (1991〜) Kelly Groucutt ケリー・グロウカット/ベース・ギター、リード&バックヴォーカル (1991〜) Hugh McDowell ヒュー・マクドウェル/チェロ (1991〜1992?) Phil Bates フィル・ベイツ/ギター、リード&バック・ヴォーカル (1992?〜1997?) Louis Clark ルイス・クラーク/キーボード、オーケストラ・アレンジ (1994〜) Parthenon Huxley パーシェノン・ヒューレイ/ギター、リード&バック・ヴォーカル (1998〜) Gordon Townsend ゴードン・タウンゼント/ドラムス、バック・ヴォーカル (1999〜) |
E.L.O. Pert Two Scotti Bros./アルファ |
Performing ELO's Greatest Hits Live Scotti Bros. |
In Concert Disky |
One Night CMC International |
One Night-Live In Australia Disky |
No Rewind |
ディスコ・グラフィー 1991年 Electric Light Orchestra Part Two(銀河の探索者)*全英34位を記録したELO IIのデビュー作 |