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クラシック・ミュージックから音楽を聞き始め、しだいにポップス〜ロックへと移っていった自分のような者にとって、ELOのサウンドはなんとも耳障りが良く心地よい。もちろんそうでないリスナーの方でも、彼らのポップ・センスやアレンジの妙には少なからず感心させられるはずだ。クラシック・ミュージックらしさを凝縮したような弦楽器による世界最小のオーケストレーション。ビートルズ顔負けのキャッチーさを持つポップなメロディ・ライン。これらはいずれもジェフ・リンというモジャモジャ頭の1人の天才による導きがあって生まれたようなものだ。しかしまた一方で、その完成された素晴らしいサウンドを破壊し、ELOを単なるポップ・バンドにしてしまったのも彼自身の仕業だ。 ただし、これでELO本来のサウンド自体が消えてしまったわけではない。ドラムのペヴを中心に再度姿を現したELO Part IIでは、あの全盛期のELOサウンドを見事に蘇らせ継承してみせたのだ。そのELOサウンド再生に関わったのは、メンバーのみならずたくさんのスタッフたちだった。その見事な仕事ぶりをみれば、彼らが皆いかに往年のELOサウンドを愛していたのかが分かるはずだ。 現在はジェフ・リンが復帰して再びポップ・バンドとなってしまったELOだが、ELOファンとしては、いつの日かまた「あの世界最小のオーケストラ集団」として蘇って欲しい。 ELOサウンドに初めて出逢ったのは、ラジオから聞こえてくる「ロール・オーバー・ベートーベン」のカヴァー曲(オリジナルはチャック・ベリー)だった。この曲はビートルズをはじめ、幾度となく様々なアーチストにカヴァーされていたので聞いたことはあったが、あの有名なベートーベンの交響曲第五番「運命」のイントロをそのままもってきた、あの「ジャジャジャジャ〜ン」という響きには強烈なインパクトがあった。ロックやポップスを専門に流すラジオ番組では、当然のことながらクラシック・ミュージックなどはまったく流れない。その中で突然流れ出した「ジャジャジャジャ〜ン」は、相当目立っていた。 そのあとこの曲はノリのよいロックンロール・サウンドへと急変するのだが、中盤から後半にかけてのオーケストラ・アレンジは圧巻。それまでもクラシック・ミュージックをエレクトリック楽器で演奏する試みや、主にプログレッシヴ・ロックの中でクラシック用の楽器を使う例はあったものの、クラシック・ミュージック用の楽器をここまでロックンロール風にアレンジで弾いた例はない。 だが、こういった発想はジェフ・リンが考え出したものではなく、実はELO生みの親でもある奇才ロイ・ウッドのアイデアから始まった。 話は遡ること2年前の1971年、The Move ザ・ムーヴ在籍中のメンバー3人、ロイ・ウッド(ムーヴのリーダー/g,vo)、ジェフ・リン(3rdアルバムから参加/g,vo)、ベヴ・ベヴァン(オリジナル・メンバー/ds)によって、別プロジェクト的にELOは結成され、これにBill Hunt ビル・ハント(horn)、Steve Woolam スティーヴ・ウーラム(violin)を助っ人として加える形でファースト・アルバム「踊るヴァイオリン群とエレクトリック・ロック、そしてヴォーカルは如何に(No Answer)」をレコーディングした。 1stアルバムのレコーディングと前後してビル・ハントも正式メンバーとなり、更にリチャード・タンディ(key)、マイク・エドワーズ(cello)、ウィルフ・ギブソン(violin)、アンディ・クレイグ(cello)、ヒュー・マクドウェル(cello)らをメンバーに迎え9人編成の大所帯で活動を始めているので、これがELOのオリジナル・メンバーと言えよう。 Roy Wood ロイ・ウッド/ヴォーカル、チェロ、サックス、クラリネット、オーボエ、バスーン、リコーダー、ギター etc. Jeff Lynne ジェフ・リン/ヴォーカル、ギター Bev Bevan ベヴ・ベヴァン/ドラムス Richard Tandy リチャード・タンディ/キーボード Michael Edwards マイク・エドワーズ/チェロ Wilfred Gibson ウィルフ・ギブソン/ヴァイオリン Andrew Craig アンディ・クレイグ/チェロ Hugh McDowell ヒュー・マクドウェル/チェロ Bill William Hunt ビル・ハント/フレンチ・ホーン、ハンティング・ホーン この1stアルバムは、ポップスとクラシックの融合を試みた実験的な内容で、後のELOサウンドとコンセプトを同じくするものだった。元々リーダであるロイ・ウッドは、かなりポップなセンスを持った人で(後にも先にもTOP 10ヒットを連発)、何種類もの楽器を自由に操れるマルチ・プレイヤーでもあった。その彼がクラシック・ミュージックに着眼した時、プログレッシヴ・ロック方面ではなく、ポップス寄りのアレンジをしようとしたのも当然といえば当然だ。また、バンド内部にミニ・オーケストラを内包するといった試みは当時においてもかなり斬新的だったことだろう。 ただし、そこでは後のELOサウンドのように弦楽器だけでなく、木管楽器や金管楽器までも含まれていたところが違っていた。(驚くことにロイ・ウッドはヴォーカルの他、チェロ、オーボエ、バスーン、クラリネット、リコーダー、ストリング・ベース、アコースティック・ギター、スライド・ギター、ベース・ギター、パーカッションをすべて1人でこなしている) このELOのデビュー・アルバムは全英32位まで上昇し、まずまずの成果を上げたが、翌72年リーダーのロイは早くも離脱。ビル・ハントとヒュー・マクドウェルもELOから引き抜いて新たにウィザードを結成し、同年のうちに全英6位の大ヒット「Ball Park Incident)を放っている。ロイにとってELOは一時的な実験に過ぎなかったようだ。 残されたジェフとベブはELOを存続させるべく、新たにメンバーを再編成。 Jeff Lynne ジェフ・リン/ヴォーカル、ギター Bev Bevan ベヴ・ベヴァン/ドラムス Richard Tandy リチャード・タンディ/キーボード Michael Edwards マイク・エドワーズ/チェロ Wilfred Gibson ウィルフ・ギブソン/ヴァイオリン Michael De Alberquerque マイク・アルバカーキ/ベース・ギター Collin Walker コリン・ウォーカー/チェロ とし、73年初頭からヨーロッパ・ツアーを敢行。同年中に2ndアルバム「ELO・2」もリリースした。 このアルバムでは全体的に曲が長くなり、プログレッシヴ度も増しているが、後のELOサウンドにつながるジェフ・リン特有のビートルズ風ポップ・センスの片鱗や弦楽器だけに絞り込んだ効果的なオーケストレーション・アレンジが随所に光っている。 アルバム・セールス的には前作より劣る全英35位止まりであったものの、ここからシングル・カットした「ロール・オーバー・ベートーベン」が突然大ヒットを(全英6位/全米42位)記録し、一躍脚光を浴びる存在となった。 また、これで自信をつけたジェフ・リンは、バンド内でのリーダーシップを強め、以降ほとんどELOはジェフのワンマン・バンドと化していった。 間髪を明けずに発表したサード・アルバム「第三世界の曙」('73年)では、またまたメンバー・チェンジがあり、ウィルフとコリンが抜けた代わりにMik Kaminski ミック・カミンスキー(Violin)が加入していた。 サウンド的には各曲がかなりコンパクトになり、ストリングスは多重録音や編集によってツギハギされ効果音的に使われる往年のELOサウンドの形がほぼ完成した。 このアルバムからは、「ショウダウン」が全英12位のスマッシュヒットとなったが、それにも増してアルバム自体が全米で52位に食い込んだことが、彼らのその後のサウンドに大きく影響を及ぼすことになる。 74年にリリースした4thアルバム「エルドエラド」では、一聴して分かるサウンド・スケールの大きさ、そして当時流行っていたトータル・コンセプトもの、明るくポップなメロディー。これらは明らかにアメリカウケを狙ったものであるが、それが見事にハマり全米で16位を記録するヒットとなった。 さあ、ここからの彼らの勢いは留まるところを知らない。 翌75年リリースの「フェイス・ザ・ミュージック」では、マイク・エドワーズとマイク・アルバカーキが脱退したため、解散したザ・ウィザードからELOのオリジナル・メンバーであったヒュー・マクドウェル(cello)を引き戻し、さらにKelly Groucutt ケリー・グロウカット(b,vo)と美青年Melvyn Gale メルヴィン・ゲール(cello)を補充し、よりポップでシングル向きの曲をたくさん収めていた。ストリングスも大仰ではなくなり、曲の中に自然にとけ込む感じの仕上がりなっていたが、それはこのアルバムから参加したMackというレコーディング・エンジニアのおかげらしい。以降Mackは彼らのアルバムには欠かせない存在となる。 このアルバムからは「イーヴル・ウーマン」(全英10位/全米10位)と「不思議な魔術Strange Magic」(全米14位)の2大ヒットを生み、アルバム自体も全米8位の大ヒットとなった。 尚、この時期のメンバーは79年まで不動で、一番長く安定していた時期だろう。もう1度整理しておくと、 Jeff Lynne ジェフ・リン/ヴォーカル、ギター Bev Bevan ベヴ・ベヴァン/ドラムス Hugh McDowell ヒュー・マクドウェル/チェロ Mik Kaminski ミック・カミンスキー/ヴァイオリン Richard Tandy リチャード・タンディ/キーボード Kelly Groucutt ケリー・グロウカット/ベース・ギター、ヴォーカル、パーカッション Melvyn Gale メルヴィン・ゲール/チェロ 同メンバーによる76年リリースの「オーロラの救世主」では、ジャケットに初めてELOのトレードマークともいえる謎の発光円盤が登場。すでに6枚目のアルバムで、これまでもほとんどの曲を1人で作詞・作曲してきたにも関わらず、ますます良い曲をかくようになったジェフ・リンの尽きない才能には目を見張るものがある。全曲シングル・カットしてもおかしくないような名曲ばかりで、それを裏付けるように、このアルバムからは「ドゥ・ヤ」(全米24位)、「オーロラの救世主」(全米13位)、「テレフォン・ライン」(全米7位)、と3曲のシングル・ヒットが生まれ、アルバム自体も全英5位、全米6位と大ヒットを記録している。 翌77年には、2枚組の超大作であり、彼らの最高傑作ともいえる「アウトオブ・ザブルー」を発表。これまでの成果を凝縮したような高精度なサウンドでありながら、変幻自在かつポップな仕上がりは、ビートルズのホワイトアルバムにも匹敵するほどの名盤だった。当然のごとく全米・全英共に4位という大ヒットを記録し、E.L.O.という名前だけでなく、ジェフ・リンという1個人にもスポット・ライトが当たることとなる。だが、この事がメンバー間を分裂させ、バンドを消滅へと導く引き金ともなってしまった。 78年に初来日公演を果たした彼らであったが、その興奮冷めやらぬ79年、ストリングス・セクションの3人が相次いで脱退。4人編成の普通のバンドとなってしまったE.L.O.は、そのままメンバーを補充せずに、なんとストリングスをすべてエレクトロニクスで補うという方法で、基本サウンドを維持した。 この年リリースしたアルバム「ディスカバリー」では、ディスコ・サウンドも取り入れ、軽快なポップ・アルバムとしての性格を強め、ますますジェフ・リンの主導的色合いを濃くしていたが、それでも名曲揃いで、アルバムとして名作であることは疑う余地もないほどのできばえであった。結果、全英ではNo.1に輝き、全米でも5位の大ヒットを記録。シングルとしても、「シャイン・ラヴ」(英6位/米8位)、「ホレスの日記」(英8位)、「ドント・ブリング・ミー・ダウン」(英3位/米4位)、「フュージョン/ロンドン行き最終列車」(英8位/米37位)が大ヒットした。 勢いに乗っている時は何をやっても成功するもので、この後オリビア・ニュートン・ジョン主演の映画「ザナドゥ」のサウンド・トラックも手がけ、80年にLPのA面がE.L.O.side、B面がオリビアsideという変則的なアルバムをリリース。その中からオリビアと共演したタイトル・ナンバーが全英1位/全米8位の大ヒットを記録した。ちなみにオリビアはこのアルバムのオリビアsideからもう1曲「マジック」を全米No.1に送り込み、それを足がかりにシンガーとして復活。以降「フィジカル」などの大ヒットを連発して行くことになる。 これらの成功でますますE.L.O.内でのジェフ・リンの独裁色は強まり、81年にリリースした次のアルバム「タイム〜時へのパスポート」では、オーケストラ・アレンジまでも、初期の頃からずっと依頼してきたルイス・クラークには頼まず自分たちで行っていた。 「無限の時間」をテーマにしたコンセプトアルバムとして登場したこのアルバムは、ジェフ・リンが当時、己の全才能を傾けて創り出した渾身のアルバムだったのだろう。それが証拠に、これ以降燃え尽きたようにツアーの中止を宣言し、E.L.O.としての活動も休止してしまった。内容も、もはやジェフ・リンのソロ・プロジェクト的なものだが、相変わらず曲もよく出来ていて、ジェフ・リンのファンにとっては最高傑作の呼び声も高い。チャートアクションでも、全英1位、全米16位と好結果を残している。 この後、ジェフ・リンは他のアーティストのプロデュースなどをするようになり、E.L.O.の解散説まで囁かれるようになった。しかし、2年のブランクを経て、83年にとりあえずアルバム「シークレット・メッセージ」をリリースし、健在ぶりを示した。だが、このアルバムの内容は、ほとんどジェフ・リンのソロアルバムともいえるもので、名前だけE.L.O.名義で出しているというようなものだった。全米19位のヒットとなったシングル曲「ロックンロール・イズ・キング」などはもう、ストリングス・アレンジさえなく、完全に普通のポップ・ソングと化していた。アルバム自体のセールスも以前の勢いはなく、全英4位/全米56位に終わっている。 同年、ドラムのベヴがブラック・サバスへ電撃移籍、キーボードのリチャード・タンディはタンディ・モーガン・バンドを結成、翌84年にはケリー・グロウカットが正式に脱退を表明し、誰もがこれでE.L.O.は消滅したと思っていた。ところが86年、突然E.L.O.名義でのアルバム「バランス・オブ・パワー」を発表して周囲を喜ばせた。しかしこれも一時的にベヴとリチャードを引き戻して、ドラムとキーボードのパートをレコーディングしたというだけで、実質ジェフ・リンが何人かのスタッフと共にベーシック・トラックを作ったソロ・アルバムといっていい内容だった。なんとかシングルの「コーリング・アメリカ」を全米18位に送り込むものの、アルバム自体は全英9位/全米49位と低迷し、そのままE.L.O.は消滅してしまう。 その後ジェフ・リンは元ビートルズのジョージ・ハリスンに接近し、87年ジョージのアルバム「クラウド・ナイン」をプロデュースして大成功を収める(シングル「セット・オン・ユー」は全米No.1)。また、88年にはそのジョージやボブ・ディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソンと共にプロジェクト・バンドであるトラヴェリング・ウィルベリーズに参加し、そのアルバム・プロデュースも担当した。 90年には、トラヴェリング・ウィルベリーズのセカンド・アルバムに参加すると共に、ソロ・アルバム「アームチェアー・シアター」もリリース。そして95年、ついにジェフが子供時代から憧れつづけたビートルズの25年ぶりの新曲「フリー・アズ・ア・バード」のプロデュースまで任されるに至った(ジョージ・マーティンやメンバーらと共同プロデュース)。 一方、E.L.O.のオリジナル・メンバーとして最後までバンドに残っていたベヴ・ベヴァンは、E.L.O.消滅後またブラック・サバスへ一時的に戻っていたが、80年代の終わり頃から元メンバーたちを集めE.L.O.を再結成させるべく画策していた。そして90年、ついにELO part IIの名前でそれが実現した。このバンドでは91年と94年に、往年のE.L.O.と比較してもなんら遜色のないすばらしいアルバムをリリースしたが、99年にその中心人物であるベヴ自身があっさり辞めてしまったため、バンド名変更を余儀なくされ、現在はThe Orchestraとして活動中。ベヴは2004年、また懲りずに今度はザ・ムーヴの名前でバンドを結成し、現在はBev Bevan's Moveとして活動しているようだ。 冒頭でも触れたように、2001年ジェフ・リンが15年ぶりにE.L.O.名義でのアルバム「ZOOM」をリリースし、本家E.L.O.が復活したわけだが、このアルバムはリチャード・タンディ(key)が参加しているものの、聞いて分かる通り、内容はまったくのジェフ・リンのソロ・アルバムだ。E.L.O.の面影はほとんどないが、良質のポップ・アルバムと捉えれば、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターといった豪華ゲストもいて、聞く価値はあるだろう。 しかし、冒頭の繰り返しになるが、ファンとしてはいつの日かまた「あの世界最小のオーケストラ集団」としてE.L.O.が蘇って欲しいものだ。 (HINE) 2006.11 |
![]() No Answer Harvest/Sony |
![]() Electric Light Orchestra II Harvest/Sony |
![]() On the Third Day Jet/Sony |
![]() Eldorado Jet/Sony |
![]() The Night the Lights Went On Warner/Epic Sony |
![]() Face the Music Jet/Sony |
![]() A New World Record Jet/Sony |
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ディスコ・グラフィー 1971年 Electric Light Orchestra *英だけのデビュー・アルバム。米では翌年「No Answer」としてリリースされた。 |
![]() Discovery Jet/Sony |
![]() Time Jet/Sony |
![]() Secret Messages CBS/Sony |
![]() Balance of Power CBS/Sony |
ELO Part IICrysalis/東芝EMI |
![]() Moment of Truth Ultra Pop/ビクター |
![]() Zoom Epic/SME |
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〜New Disc Revueより転載 |