CULTURE CLUB カルチャー・クラブ


●オリジナル・メンバー 左より
Roy Hay ロイ・ヘイ/キーボード、ギター
Mikael Craig マイケル(マイキー)・クレイグ/ベース・ギター

Boy George ボーイ・ジョージ/リード・ヴォーカル
Jon Moss ジョン・モス/ドラムス、パーカッション

 70年代末期、ポリスの大成功により他のパンク・バンドたちも一斉にニュー・ウェイヴ・サウンドへシフトしようと模索し、パンク・ブームの立役者であるセックス・ピストルズの元ヴォーカリスト、ジョニー・ロットンまでもが、自身のバンドP.I.L.において実験的なサウンドを繰り返していた。
 そんな中、いち早くその集団から抜け出したのが、ファッショナブルでハイセンスなバンド、ABCデュランデュランスパンダー・バレエ、ユーリズミックス、それにこのページの主役カルチャー・クラブなどで、中でもビジュアル面を強調し、ダンサブルでポップな曲を量産したたデュランデュランとカルチャー・クラブはアイドル視され、ニュー・ロマンティクス(ニュー・ロマンティック)と分類された。
 しかし、この2バンドには大きな違いがある。デュランデュランがレコード会社の思惑でアイドル路線を歩まされ成功したのに対し、カルチャー・クラブの場合は、自らの先見性で時代の先を見越し、それが見事にピッタリとハマった結果大ヒットにつながったのだった。

 
日本では、彼らが全米でブレイクするかなり前から、シングル・ヒット曲「君は完璧さ」とボーイ・ジョージのビジュアル系ルックスがかなり話題になっていた。それは特にティーンの女の子たちの間で…。当時20歳ぐらいだった僕の場合も、3歳ほど年下のガールフレンドから教えてもらい初めてファースト・アルバムを聞いたのだった。当初は例のビジュアルも知らず、ポリスやデュランデュランの亜流ぐらいにしかとらえていなかったが、「君は完璧さ」だけがどうにも耳に残って離れない。そのうちに街のあちらこちらでこの曲が流れ始め、気になりだして自分でもレコードを買いに行った記憶がある。ポップで軽快なレゲエ・ビートに乗せ、乾いたCoolヴォイスで何か寂しげに唄うこの曲こそ、カルチャー・クラブの代表曲といっていいだろう。

 マーク・ボランやデヴィッド・ボウイに憧れ少年時代を過ごしたボーイ・ジョージ(本名:George Alan O'Dowd ジョージ・アラン・オダウド)は、ブティックの店員、雑誌やTVのモデル、メイクアップ・アーティスト、ディスコのDJなどを経て1980年、ヴォーカリストとしてバウ・ワウ・ワウリューテナント・ラッシュの名で加入するが、すぐに脱退。だが、この時のニュースを雑誌で見たマイケル・クレイグ(マイキー)がジョージのもとへ尋ねて来た。マイキーは当時、ドメスティック・バイオレンスと戦う英有名作家エリン・ピッツェイの娘クレオの夫で、クラブDJやスタジオのテープ係をしていたベーシストだった。翌年ジョージとマイキーは、ジョニー・スエードというギタリストを加え、セックス・ギャング・チルドレンというバンドを結成。このバンドはすぐに名前をイン・プレイズ・オブ・レミングスに改名するが、その後ジョン・モスを加える(ジョージが誘ったらしい)にあたり、再び改名してカルチャー・クラブとした。
 ドラマーのジョンは初期のクラッシュダムドアダム&ジ・アンツなどを渡り歩いてきたつわもので、カルチャー・クラブの進むべき方向を示した張本人でもあると言われている。この直後、ジョニーが脱退し(ジョンが辞めさせたとの説もあり)、オーディションでロイ・ヘイを迎え入れ、オリジナル・メンバーが揃った。
 彼らは当初パンク・バンドであったらしいが、バンド内で最もミュージシャン経験豊富なジョンの提案を受け入れ、ジョージの声質を生かしたスタイルへと音楽方向を変え、ファッションも攻撃的なパンク・ファッションから普通(?)のファッションへ変えた。また、この時ジョージのメイクもケバケバしいものから女性的で穏和なものへと変貌している。

 82年にヴァージン・レコードと契約した彼らは同年シングル「ホワイト・ボーイ」でデビュー。つづいてセカンド・シングル「アイム・アフレイド・オブ・ミー」もリリースするが、チャート・アクションはまったく起きなかった。だが、サード・シングルとなる「君は完璧さ」とファースト・アルバム「Kissing To Be Clever(ミルテリー・ボーイ)」を続けざまにリリースしたところ、突然チャートを登り始め、「君は完璧さは」が最終的に全英No.1となる大ヒットを記録、アルバムも全英5位まで上昇した。また、この後間髪を置かずリリースしたシングル「タイム」も全英3位の大ヒットとなり、ボーイ・ジョージのルックスも話題となって、イギリスや日本では一躍彼らは人気者となっていった。尚、この「タイム」は当初アルバム未収録であったが、後から英ではファースト・アルバムに、日本ではセカンド・アルバムに追加収録されている。
 当時アメリカでは第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるUKアーティストの全米チャート独占状態にあり、先発のポリス、ヒューマン・リーグ、ABCなどにつづく第二陣としてデュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ユーリズミックスらと共に彼らも全米チャートでも大ブレイクした。83年には「君は完璧さ」が全米2位まであがる大ヒットを記録、つづいて「タイムも」全米2位、ファースト・アルバムは14位まで上昇し、一気に全米での人気も獲得した。タイミング良くこの頃セカンド・アルバム「カラー・バイ・ナンバーズ」も発売になると、もう彼らの勢いはとどまるところを知らず、結局83年〜84年にかけて、「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」(全英2位/全米10位)、「アイル・タンブル・フォー・ヤー(1stよりシングルカット)」(全米9位)、「カーマは気まぐれ」(全英1位/全米1位)、「ヴィクティムズ」(全英3位)、「イッツ・ア・ミラクル」(全英4位/全米13位)、「ミス・ミー・ブラインド」(全米5位)、そしてセカンド・アルバムは全英1位/全米2位と大ヒットを連発し、デュランデュランと人気を二分するほどの大物バンドへと躍進した。また、83年6月には初の来日公演も行っている。

 ところが、この大成功の裏では、ある悲しいドラマが進行中だった。実はバンドの結成当初からジョージとジョンは意気投合し、それが発展して2人は恋に落ちていた。しかし、レコードデビュー後あたりからジョンの態度が変わり、しだいに冷たくビジネスライクになっていったという。ジョージはジョンの心を引き留めようと、その後必至に自分の心の内を歌に込め、名曲の数々を生み出していたというのだ。今思うと、デビューからどんどん曲がポップになっていく割に、ジョージの声はどこか寂しげだった。バラードでの熱唱も、ジョージの悲痛の叫びだったのだろうか。84年サード・アルバム「ウェイキング・アップ・ウィズ・ザ・ハウス・オン・ファイヤー」を発表する頃には、すでに2人の関係は修復不能の状態まで来ていたらしい。それを悟ったのか、ジョージは突然明らかなアメリカの戦争批判(当時の米大統領レーガンの政策は、アメリカの軍事力による「力による平和」主義だった)ソング「戦争のうた」を発表するが、これが裏目に出て、全米チャートでのアクションは鈍くなり、シングル「戦争のうた」は全英で2位を記録するものの、全米では17位、アルバムに至っては、全英では2位のところ全米26位と、まったく勢いを無くしてしまった。
 ジョージは、この年の暮れにアフリカ飢餓救済チャリティー・シングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」にも参加するものの、この後カルチャー・クラブは本国イギリスにおいての人気も下降し、シングル「ザ・メダル・ソング」は全英32位と低迷した。
 しかしながら、84年の2
度目の来日ツアーの成功や「戦争のうた」の曲中に日本語が混じっていたりしたことなどから相変わらず日本での人気は高く、それに答えるため、85年には日本語のナレーションを入れたシングル「危ないストリート」を日本だけでシングル・リリース。それを収録したミニLP「ラヴ・イズ・ラヴ」を日本のファンのために発表した。また、85年7月スタイル・カウンシル、ゴー・ウエストらと共に、ロック・イン・ジャパン85へ出演するため来日し、雨の中新曲を含む熱演で再び日本のファンたちを魅了した。
 86年には久しぶりにニュー・シングル「ムーヴ・アウェイ」(全英7位/全米12位)と4thアルバム「フロム・ラクシャリー・トゥ・ハートエイク」(全英10位/全米32位)をリリースし健在ぶりを示すが、ジョージはすでにジョンとの恋に破局を迎えてもなおいっしょに活動しなければならないという精神的苦痛から逃れるため、麻薬に溺れボロボロの状態になっていた。そしてついにこの年の夏、ジョージは麻薬不法所持のためニューヨークで逮捕され、カルチャー・クラブとしての活動も停止してしまった。

 その後メンバーたちは各々別の道を歩み始め、ジョージはソロとして、ジョンはハート・ビートU.K.を結成、ロイはディス・ウェイ・アップを結成し活動することになるが、ジョンとロイのバンドはまったく成果をあげないまま解散してしまったようだ。ジョージは87年ソロとしての初シングル「エヴリシング・アイ・オウン」(ブレッドのカヴァー曲)がいきなり全英2週No.1となり好発進、同年ファースト・ソロ・アルバム「ソールド」も発表した。尚、このアルバムはアメリカでは発表していない。ジョージはカルチャー・クラブのラスト・アルバムでアメリカに対しこんなことを唄っている。
「Too Bad(邦題:夢の国アメリカ)」より抜粋

ここはアメリカ 夢の国
拾われてはポイと捨てられる熱意(アメリカへ連れてっとくれ)
こんなところにはとてもいられない
ひどい話さ
僕はもうやっていられない─あいにくとね
(夢の国よ おまえの望むものはなんだろうと全部あげたじゃないか)
(対訳:内田久美子氏)

 この後もジョージは地道に活動を続けるが、ゲイであるということに対し偏見を持つマスコミに嫌気がさし、80年代末期には活動を辞めしばらく沈黙してしまう。しかし、92年になり「ベスト・オブ・ボーイ・ジョージ&カルチャー・クラブ」が発売され、かつての活動が再評価されるようになるとジョージも本格的に活動を再開。93年映画「クライング・ゲーム」のサントラとしてカヴァーした同名タイトル曲も全英22位/全米15位と、久しぶりのヒットを記録した。そして、94年8月には姫路城で行われたチャリティー・イベント「姫路城Save The World Heritage Concert」に参加するため日本のファンの前にも久しぶりに元気な姿を見せてくれた。
 一方他のメンバーでは、ロイだけがセッション・マンとしてデニス・ウイリアムスやポール・ヤング、ジョン・テイラー(ex.Duran Duran)のアルバムなどで活躍している以外90年代後半まで目立ったものはない。

 95年自叙伝を出版し、自らのスキャンダラスな人生を公表したジョージは、ソロ・アルバム「チープネス・アンド・ビューティー」をリリースすると共に、自らの原点であるクラブDJとしても再出発することにする。そして1998年、カルチャー・クラブ再結成のニュースが日本にも伝わってきた。個人的にはジョージのソロはまったく聞いていなかったので、復活第一弾となったライヴ・アルバム(日本盤には新曲「愛をください」(全英4位)のスタジオ録音もカップリング)「ストーリーテラーズ〜帰ってきたカルチャー・クラブ」は約12年ぶりに聞く懐かしくも嬉しい声のハズだった・・・。だが、別人のようなハスキーで野太い声になってしまったジョージの声にまず驚かされた(実際は多少太い声になった程度なのだろうが、自分の中では時間の経過が以前のジョージのきれいな声をなおさら美化してしまっていたのだろう)。だが、また同時にカルチャー・クラブってこんなに名曲がいっぱいあったんだなと改めて彼らの素晴らしさを思い知らされたのだった。
 想えば彼らが初めてポップ・シーンに登場した頃は、当時流行していたファンカラティーナ(ファンクとラテン・ミュージックを融合した音楽)やレゲエ/ダブ、カリプソを取り入れたライト感覚のどこにでもあるポップ・サウンドだったが、しだいにソウル、ゴスペルなどブラック・ミュージックへの深い傾倒がみられるようになり、短期間のうちに「カルチャー・クラブ・サウンド」ともいえる独自の境地を切り開くに至った。その間、全英・全米チャートの制覇(「カーマ・カメレオン」)や年間シングルすべて全米トップ10入り(83年)、イギリスのBPIアワードでベスト・ポップ・グループを受賞(84年)、第26回グラミー賞ベスト・ニュー・アーティスト受賞(84年)と、ほとんどミュージシャンとしての頂点を極めたといってもいいだろう。しかし、そこから転げ落ちるのも実に早かった。失恋、ドラッグ漬け、逮捕・・・と。また、売れれば売れるほどジョンの心は離れていくという、ジョージの心の葛藤はいかばかりだったのだろう。そんなことを思い出しながら、彼らが残した名曲の数々を聴き直してみると、さらに味わい深い。ちなみにこのライヴ盤には3曲の新曲が入っていて、そのうちの1曲「What Do You Want 君の望みは?」はこのアルバムにしか収録されていない。

 その後この再結成カルチャー・クラブは99年にスタジオ・アルバム「ドント・マインド・イフ・アイ・ドゥ」も発表し、その中からシングル・カットした「Your Kisses Are Charity いつわりのKISS」は全英25位、「コールド・ショルダー/スターマン(David Bowieのカヴァー)」は全英43位を記録している。往年のカルチャー・クラブよりかなり落ち着いた雰囲気でレゲエ色が強いが、ポップでメロディーが良いのは相変わらず、かなりの優良盤だ。ジョージの声もやはり太くハスキーにはなっているが、逆に歌唱力はさらにアップしていて、聞き慣れればまったく気にならない。この再結成カルチャー・クラブはワールド・ツアーも行い、2002年ぐらいまで活動したが、ジョージのDJの仕事の成功などから自然消滅した。

 そして2006年、思いも寄らないニュースがまた飛び込んできた。カルチャー・クラブがメンバーを新たに、またもや再結成したというのだ。オリジナル・メンバーはジョン・モス(ds)とマイキー・クレイグ(b)だけで、キーボードには黄金期のアルバムやツアーで常に彼らを支えつづけていたプレイヤー、
Phil Pickettフィル・ピケット(右写真は80年代のフィル)、ヴォーカルには美形の新人男性(!?)Sam Bucherサム・ブッチャーを起用したということだ。現時点では、ヴォーカルのサムはツアーのみの参加ということらしいが、批判を覚悟で言えば、個人的にはなかなか良い人選だったような気がする。ジョージはジョージでソロでも充分やっていけるはずだし、昔のカルチャー・クラブの歌を唄うには、声もビジュアルも今のジョージよりサムの方がイメージがピッタリくる。
 今後この再々結成カルチャー・クラブとボーイ・ジョージがどうなってゆくのか気になるところだが、双方ともにいつまでも頑張って欲しいものだ。 
(HINE)2007.4

■下は新メンバーによるライヴ映像(YouTubeより)




Kissing To Be Clever
Virgin/東芝EMI

Waking Up With the House on Fire
Virgin/東芝EMI

From Luxury to Heartache
Virgin/東芝EMI

VH-1 Storytellers
Virgin/東芝EMI

Don't Mind If I Do
Virgin/東芝EMI

ディスコ・グラフィー

1982年 Kissing To Be Clever(ミステリー・ボーイ)*当時流行したファンカラティーナやレゲエ/ダブのポップなライト感覚サウンド。「君は完璧さ」収録
1983年 Colour By Numbers(カラー・バイ・ナンバーズ)*「カーマは気まぐれ」「ミス・ミー・ブラインド」などを含む彼らの最高傑作
1984年 Waking Up With the House on Fire(ウェイキング・アップ・ウィズ・ザ・ハウス・オン・ファイヤー)*「戦争のうた」が賛否両論を巻き起こす
1986年 From Luxury to Heartache(フロム・ラグジャリー・トゥ・ハートエイク)*「ムーヴ・アウェイ」収録のソウルフルなラスト・アルバム
1988年 This Time(ディス・タイム)
*ベスト盤
1992年 Best Of Boy George & Culture Club(ベスト・オブ・ボーイ・ジョージ&カルチャー・クラブ)*ベスト盤
1993年 At Worst... The Best of Boy George and Culture Club(さいあく!)*「クライング・ゲーム」も含むベスト盤
1998年 VH1 Storytellers(ストーリーテラーズ〜帰って来たカルチャー・クラブ)
*新曲を3曲含む再結成後のライヴ盤。日本盤には「愛をください」スタジオ版も収録
1999年 Don't Mind If I Do(ドント・マインド・イフ・アイ・ドゥ)*再結成後初のスタジオ録音。「愛をください」「いつわりのKISS」「スターマン」収録



◆◆◆名盤PICK UP◆◆◆

カラー・バイ・ナンバーズ
Colour By Numbers

カルチャー・クラブ
Culture Club


1983年 Virgin/東芝EMI

1 . カーマは気まぐれ Karma Chameleon

2 . イッツ・ア・ミラクル  It's A Miracle

3 . ブラック・マネー  Black Money

4 . チェンジング・エヴリ・デイ  Changing Every Day

5 . ザッツ・ザ・ウェイ  That's the Way (I'm Only Trying to Help you)

6 . タイム  Time (Clock Of The Heart)*(注)

7 . チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド  Church of the Poison Mind

8 . ミス・ミー・ブラインド  Miss Me Blind

9 . ミスター・マン  Mister Man

10.ストーム・キーパー  Stormkeeper

11.ヴィクティムズ Victims

(注)6は、シングルのみのリリースでオリジナル・アルバムには未収録

 カルチャー・クラブの存在は、彼らのデビュー当時、姿を見る前に「音」で知ったため、自分の場合当初からそれほど偏見は無く、またイギリスならではのハイセンスなグループが出て来たものだと感心していた。ところが、ちまたではボーイ・ジョージ(vo)の奇抜なファッションや女装・メイクばかりが話題となり、音楽的評価は二の次のような状態だった。しかし彼らはそれを逆手に取り、セカンド・アルバムである本作では、よりポップでキャッチーな曲作りを心がけ、自ら道化的な存在の中に身を置くことによってヒットを連発した。
 だが、もともとはパンク出身のボーイ・ジョージとジョン・モス(ds)が中心となっているだけあって、社会批判などを歌詞に盛り込んだり、音楽性もますます広く、深く、ハイレベルなものになっている。(尚、オリジナル・アルバムは全10曲で、6曲目の「タイム」は入っていない。この曲は、1st.アルバムと本作との間にシングルとしてリリースしたもので、再発のときに本作に追加された。そのため、なんとなくサウンド的には違和感がある。この曲はどちらかというと1st.アルバム寄りのサウンド・アプローチなのだ。)
 彼らのもくろみ通り、本作は売れに売れ、全英1位/全米2位を記録。シングルでも「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」が英2位/米10位、「カーマは気まぐれ」全英6週1位/全米3週1位、「ヴィクティムズ」英3位、「ミス・ミー・ブラインド」米5位、「イッツ・ア・ミラクル」英4位/米13位のヒットを生み出した。(ちなみに「タイムは」全英3位)
 もちろん本作を名盤としてピックアップするからには、ヒット曲以外もすばらしいのは言うまでもない。全体的な唄と演奏力のレベルアップも特筆すべきところだろう。ボーイ・ジョージのヴォーカルは、タイプは違えど、クイーンのフレディ・マーキュリーのような繊細さを持つに至り、さらにソウルフルさにも磨きがかかっている。特に3.「ブラック・マネー」や4「チェンジング・エヴリ・デイ」、5.「ザッツ・ザ・ウェイ」、11.「ヴィクティムズ」などのスロー・ナンバーでその素晴らしさを発揮している。
 サウンド面では、前作からの見事なレゲエ・アレンジに加え、R&Bやゴスペルからの影響が強く出ている5.や7.「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」、11.などが新しい魅力として加わった。またこれらの曲でバック・ヴォーカルとして迫力のある声を聞かせる女性、ヘレン・テリーの存在も見逃せない。
 4.はジャズ・テイストを漂わせ、10.「ストーム・キーパー」では、ブラック・ファンクからの影響も感じられるが、ここではゲスト・プレイヤーのフィル・ピケット(key/元セイラー)、スティーヴ・グレインジャー(sax)、テリー・ベイリー(Trumpet)らと共に、ベースのマイケル・クレイグが緩急を使い分けたとてもいい仕事をしている。
 個人的に最も好きなナンバーの8.「ミス・ミー・ブラインド」では、ギターのロイ・ヘイも大活躍。普段はあまり目立たないが、この曲ではバッキングに回ったカッティングはシックのナイル・ロジャース(g)風でかっこいいし、ソロではディストーションを効かせ(歪ませた)、ドライヴのかかったノリの良いフレーズで存在感を主張している。また、この曲でバック・ヴォーカルを努めているのは、後にソロ・アーチストとして成功を収めるジャーメイン・スチュワートその人だ。

 1曲目のあっけらかんとしたポップ・ソング「カーマは気まぐれ」から、最後のじっくり聴かせるタイプのスロー・ナンバー「ヴィクティムズ」まで、本作に捨て曲など無いのはもちろんのこと、曲構成にもまったくスキがない。当時は「ただの流行」扱いされていた彼らだが、今こそもっと見直されるべきなのではないだろうか。また、あまりにも露骨にアメリカ批判(War Song)をして反感を買った次作も、セールスは下降したが、内容的には劣らず素晴らしいものであったことも付け加えておこう。(HINE)