KALAPANA カラパナ


永遠に聞き次がれるサーファー達の讃歌

サーフ・ロックという言葉を生み出したのは、おそらく彼らが最初ではなかろうか?彼らが登場した1975年というと、ちょうど日本でもサーフィンが注目され始めた頃であり、彼らの音楽もサーフィンといっしょに日本に入ってきたらしい。
らしい・・・というのは、自分もまだ当時中学生で、カラパナどころかサーフィンの存在すら知らなかったからだ。
高校生になったぐらいだろうか、日本でサーフィンが大ブームとなり、カラパナの「ブラック・サンド」や「ナチュラリー」をよく耳にしたのは・・・。
1978年頃にはサーファー・ルックというのも現れ、丘サーファーと呼ばれる、カッコだけサーファーの真似をしたヤカラがたくさん出没するようになった。・・・自分もその1人なのだが(^_^;
またその頃、本物のサーファー達がよく聞いていたのがこのカラパナで、格好づけのために、いいも悪いもわからぬまま、丘サーファー達もこぞって聞き出した。
しかし、妙にこれが心地よいサウンドで、しかも曲がバラエティに富んでいて何度聞いても飽きない。言うならば、FENとかFMの洋楽番組を聴いているというような感じだろうか。
それまでの“海の洋楽”といえば、ビーチボーイズに代表されるようなサーフィン・ミュージックしかなかったわけだが、カラパナの音楽はそれともまた違う、もっと多彩なものであった。
よくフュージョンだとかAORだとかに分類されることもあるが、彼らの音楽は1つのジャンルには収まりきれないほど幅がある。しかも、それらを取り入れたと言う感じではなく、曲やアルバムごとに、ある時はロック・バンド、あるときはフュージョン・バンド、またあるときはAORだという具合に変化する珍しいタイプのバンドなのだ。
だが、そのどれもが“海岸を走る車”“砂浜での戯れ”“ナイトクルーズ”“海辺のバーでの一時”といった海のシチュエーションにピッタリくる。それが彼らの個性でもあり最大の魅力だ。
しかし、こういったサウンドは最初から彼らに備わっていたものではない。少なくともファースト・アルバムを聴いた限りでは、上質のポップスと言う感じで、潮風が似合うさわやかなサウンドだった。

サーファーのお気に入りミュージックから世界のカラパナへ

カラパナという名前はハワイ島にある、1975年に起きた火山活動による地震で溶岩に中に埋もれてしまった土地の名前らしい。
彼らは幼なじみのマラニとD.J.プラットが組んでいたバンドに、他のメンバーを加える形で1973年に(72年説もあり)ハワイで結成され、75年にファースト・アルバム「ワイキキの青い空」でデビューした。オリジナル・メンバーは、
Malani Bilyeu マラニ・ビリュー/リード・ヴォーカル、ギター、パーカッション
Mackey Feary マッケイ・フェアリー/リード・ヴォーカル、ギター、ピアノ、パーカッション
David John Pratt デヴィット・ジョン・プラット(D.J.プラット)/ギター、ヴォーカル、パーカッション、クラヴィネット
Kirk Thompson カーク・トンプソン/キーボード、ヴォーカル

で、ファースト・アルバム録音時にはMichael Pauloマイケル・パウロ(sax)とAlvin Fejerangアルヴィン・フェジャラング(ds)も加えていた。以降、幾度となくメンバーチェンジを繰り返しながら彼らは成長しつづける。
先見の目があったプロモーター達の強力な押しもあって、大型プロモーション活動を行った彼らは、ファースト・アルバムからいきなり「Nightbird」のシングル・ヒットを放ち、ポップスにハワイの民族音楽テイストを加えたような爽やかなアコースティック・サウンドで、サーファー達を中心に着実にファンを増やしていった。
つづく76年リリースのセカンド・アルバムでは、すでに高度で多彩な音楽性を見せ始め、ファーストからのイメージを受け継いだ名曲「ジュリエット」をヒットさせると同時に、今聞くと完全にフュージョン・サウンドのインストゥルメンタル曲「ブラック・サンド」などを収録し周囲を驚かせた。・・・76年と言えば、まだフュージョンというジャンルさえ確立されていなかった頃の話だ。カラパナは日本やアメリカ本土にも紹介され、ビルボード誌にもその高い音楽性を取り上げられるなど、あっという間に有名になりサーファー以外のファンも激増した。
特に日本では77年になってやっと彼らの日本盤レコードが売られるようになったのだが、それ以前からハワイ帰りのサーファー達によって口コミで広がり、彼らの輸入盤はすでに凄い人気だった。
しかし、この2枚のアルバムをリリースした時点で、デビュー当時からカラパナ・サウンドの要であり、名曲「ジュリエット」の作曲とヴォーカルを担当したマッケイ・フェアリーが脱退してしまう。
リード・ヴォーカルの1人を失ったカラパナは、Randy Aloyaランディ・アロヤ(b)を加え、しだいにロック&フュージョン色が強くなっていったが、ちょうどフュージョン全盛時代の追い風も受け、ますます人気は高まるばかりだった。その人気絶頂期の77年に中野サンプラザでの来日公演も果たし、その模様は同年中にグアムで行ったライヴ音源とミックスされ、「イン・コンサート」としてアルバム・リリースしている。
その後彼らはアメリカ本土へ渡りマイペースな活動をつづけるが、メンバーチェンジも激しく、しだいに各々のソロ活動に忙しくなり、バンドは自然消滅状態になった。
一時的に83年、カラパナ脱退後ソロ活動で順調な成果をあげていたマッケイ・フェアリーにプロモーター達が話を持ちかけ、マッケイを含むカラパナが再結成ツアーを敢行したが、その後また各々のソロ活動に戻ってしまうのだった。
それから3年後の86年、なんと“VOW WOW”(日本初の世界に通用するハード・ロック・バンド)の元ベーシストKenji Sano佐野賢二を起用して、マッケイ、マラニ、D.J.プラット、Gaylord Holomalia(kb)、佐野(b)というメンバーでカラパナは再編成され再スタートを切った。ちなみにキーボードのゲイロードはマッケイがカラパナ脱退後に作ったバンドのプレイヤーで、後に佐野とNite Lifeで共演していた。
彼らはさっそくこの年アルバム「ハリケーン」をリリースし、盛大な祝賀会を催した。
この新生カラパナのサウンドは、それまで彼らが演ってきたハワイ音楽、フュージョン、ロック、ポップスなどの要素を上手く調和させアダルト・テイストに仕上げたAOR的なものだ。
翌87年にもアルバム「Lava Rock」をリリースしたあと、日本のポニーキャニオンと5枚のアルバム契約を結ぶ。
この5枚(「Walk Upon The Water」「Back In Your Heart Again」「Kalapana Sings Southern All Stars」「Full Moon Tonight」「Captain Santa Island Music」)の中には実にユニークで楽しいモノが多い。たとえば、日本のサザン・オールスターズの曲を英語でカヴァーしたり、杉山清貴がコーラスで参加したり、ミスターAORことボビー・コールドウェルの曲をマッケイがしっとりと唄い上げたり(彼はソロ・アルバムでもボビーの曲を取りあげている)・・・またキャプテン・サンタ(日本のデザイナーによる衣料品向けキャラクター)とのコラボレーション・アルバムからはTVコマーシャルで流された「Lover Of Mine」がスマッシュ・ヒットした。
こうして、順調に活動をしているように見えた彼らであったが、99年に突然ショッキングな事件が起きてしまった。
これまで数々の名曲を生み、リード・ヴォーカルでもあったマッケイが、ドラッグの乱用により妻を暴行し、懲役10年の刑を科せられ、その獄中に首吊り自殺を図って死亡してしまったのだ。
マッケイの高度な音楽性とメロウな歌声は、特に初期からカラパナを知っているファンからは絶大な人気があり、彼を失ったことはバンドにとっても我々ファンにとっても、非常に残念で悲しい出来事であった。
しかしその悲しみも乗り越え、マラニ、D.J.プラット、佐野、ゲイロードの4人はカラパナとして活動を続行し、その後もFM名古屋のサマー・キャンペーンソングやASAHI SUPER CUP(帆船レース)のテーマソングなどを手がけ、現在も活動中。(HINE)
 2001.6

追記:2002年初期のカラパナのCDが続々と再発売された。確認できたところでは「イン・コンサート」を除く1st.〜「ノース・バウンド」までが店頭に並んでいる。

Special Thanks(制作協力):尾上“フラフラ”雅一さん



Kalapana
Abattoir


Kalapana II
Abattoir


Kalapana III
Abattoir/Trio


Original Sound Track Many Classic Moments
Abattoir


In Concert
Abattoir/Trio

North Bound
Abattoir/Trio

Walk Upon The Water
Abattoir/Canyon

ディスコ・グラフィー

1975年 Kalapana(ワイキキの青い空)*ハワイから世界へ羽ばたいた不朽の名作。「Nightbird」「Naturally」収録
1976年 Kalapana II(ワイキキの熱い砂)
*名曲「ブラック・サンド」「ジュリエット」を含む彼らの最高傑作との呼び声高きアルバム
1977年 Kalapana III(褐色の誓い)
*マッケイ脱退後5人編成となり、よりフュージョン色が強まったアルバム
1977年 Many Classic Moments(Original Sound Track) *サーフィン映画『メニィ・クラシック・モーメンツ』のサウンド・トラック盤
1978年 In Concert(イン・コンサート)
*77年中野サンプラザで行われた来日公演とグアムでのライヴ半々の内容。廃盤
1978年 North Bound(ノース・バウンド)
*日本のヤマハ・スタジオで録音されたフュージョン色の強いアルバム。
1981年 Alive At Yokohama 
*横浜で行われた来日公演のライヴ音源
1986年 Hurricane 
*元バウワウの佐野賢二(b)を起用した新生カラパナのデビュー盤
1987年 Lava Rock 
1989年 Walk Upon The Water 
*日本のキャニオンへの移籍第1弾
1990年 Back In Your Heart Again 
19??年 Kalapana Sings Southern All Stars 
*前編日本のサザンオールスターズのカヴァー曲
1992年 The Best Of:Vol. 1 
1993年 Full Moon Tonight 
*ボビー・コールドウェルの曲「Real Thing」をカヴァー。杉山清貴も「Seaside M」にコーラスで参加
1994年 Kalapana ... Reunion 
*83年の再結成ライヴの模様を収めたアルバム
1995年 Greatest Hits
1996年 Captain Santa Island Music 
*キャプテンサンタのCMに起用されたことから共同で制作した作品。「Lover Of Mine」と「Molokai sweet Home」収録
1997年 The Very Best of Kalapana *新たに録音されたテイクを多く含むベスト盤



Back In Your Heart Again
Pacific Coast Highway/Canyon


Kalapana Sings Southern All Stars
Pacific Coast Highway/Canyon


The Best Of: Vol.
Aloha


Full Moon Tonight
Abattoir/Canyon


Kalapana ... Reunion
Paradise

Greatest Hits
Noteworthy

Captain Santa Island Music
Abattoir/Canyon