四輪駆動に乗ったカナダの木こり軍団
Randy Bachman ランディ・バックマン/ヴォーカル、ギター
C.F. Turner C.F.ターナー/ヴォーカル、ベース・ギター
Tim Bachman ティム・バックマン/サイド・ギター
Robbie Bachman ロビー・バックマン/ドラムス
カナダ出身のバンド“ゲス・フー”を脱退後、一時キース・エマーソン(ナイス、後EL&P/kb)とのプロジェクトを目論んでいたランディ・バックマンは、エマーソンが病気になってしまったため、諦めて1971年に弟のロビー・バックマン、C.F.ターナー、Chad
Allan(b)と共にBrave Beltというバンドを結成した。
このバンドでは2枚のアルバムをリリースしたが、まったく成功せず、そのうちChadが脱退してしまったため、またランディの兄弟であるティムを担ぎ出し、バンド名も改め再起を図った。これがバックマン・ターナー・オーバードライブなのである。
彼らがレコード・デビューしたのは1973年、バンド名同タイトルのアルバムをリリースした。
これは、けっこう正当派ハードロックという感じで、その後のポップな印象はまるでないアルバムだ。
同じ年セカンド・アルバム「B.T.O.II」もリリースしたが、ここからは「Taking Care of Business」が全米で12位のヒットを記録した。尚、なぜか日本では彼らの曲にヘンテコな日本語タイトルを付けていて、この曲も「仕事にご用心」というのだ(^_^;
彼らがポップなサウンドだったので、アイドルと間違えていたのだろうか・・・、いや、しかし、風貌はどうみてもむさ苦しそうな木こり軍団なのだが・・・。
この後「レット・イット・ライド」も23位のスマッシュ・ヒットとなり、アルバム自体は4位と好セールスを記録した。
翌74年には、彼らの出世作ともなるアルバム「ノット・フラジャイル」を発表。この時ティムは抜けて、Blair Thorntonブレア・ソーントン(g)に交代していた。ここからのシングル「You ain't seen
nothing yet(恋のめまい)」は全米1位の大ヒットを記録、つづく「Roll on down the highway(ハイウェイをぶっとばせ!)」も14位の大ヒットとなり、アルバム自体も全米No.1に輝いて、たちまちビッグ・スターの仲間入りを果たした。
このアルバムはシングル曲こそポップ感覚あふれるキャッチーなものだが、全体的には以前からのハードロック路線を踏襲する内容であり、今でも名作として昔からのファンの間では根強い人気だ。
75年になると、次のアルバム「四輪駆動」をリリースし、ここからのシングル「Hey You」もヒットさせ、アルバムはプラチナ・ディスクと絶好調ぶりをみせたが、同時期に次のまったく違う構想のアルバムを制作していた。
それは、同年内に発表されたアルバム「ヘッド・オン」であり、多様なサウンドを取り入れ、よりポップ感覚があふれた内容のものであった。自分などはノット・フィフラジャイル以降に彼らを初めて聞いたので、こちらの路線の方が馴染みがあるのだが、昔からのファンはこのアルバムを聞いてかなり戸惑ったようだ。
しかし、そんなファンの困惑をよそに、「ヘッド・オン」は大ヒットしたが、シングル「Looking Out For#1」は65位と苦戦だった。日本では上の写真にあるように、「Find
Out About Love(愛にさまようロックン・ローラー)」をA面にしてシングル・カットしていて、こちらの方は大ヒット。彼らがヒット曲製造マシンと言われたのもこの頃だ。
77年になるとヘッド・オンと同じ路線のアルバム「爆走フリーウェイ」を発表。時を同じくして来日公演も行ったが、直後にランディ脱退のニュースが飛び込んできた。原因はハード志向のランディとポップ志向の他のメンバー達の意見の食い違いと言われている。尚、来日公演の模様はこの年に「ジャパンツアー・ライブ」としてアルバム化されている。
ランディの脱退で解散かとも思われたB.T.O.であったが、78年にはJim Clenchジム・クレンチ(vo,b)を迎え、ニュー・アルバムをリリースした。このアルバムは前2作のポップ路線をさらに押し進めるもので、過去のB.T.O.サウンドとは、もはや別物であった。加えて、新入りのジムがベーシストであったことから、C.F.ターナーがサイド・ギターへまわり、実質的にリード・ギター不在となったため、より軽いサウンドになってしまった。
翌79年にはコンポーザーに若き日のブライアン・アダムスを起用するなどして、昔の路線に戻したアルバム「ロックン・ロール・ナイツ」を発表したが、時すでに遅く、時代はパンク・ブームに沸いており話題にもならなず、そのまま彼らは解散してしまった。
B.T.O.脱退後、ランディはアイアン・ホースというプロジェクトを結成し、アルバムもリリースしていたが、80年頃になるとオリジナル・メンバーでのB.T.O.を復活させようと元メンバー達に呼びかけた。
この誘いにドラムのロビーだけはのらなかったため、元ゲス・フーのGary Petersonゲーリー・ピーターソン(ds)を誘い、C.F.ターナー(b,vo)、ティム・バックマン(g)というメンバーで、1981年バンド名を正式にBTOと短くして再出発することにした。この再結成BTOは84年に1枚のスタジオ盤と86年に1枚のライヴ盤を発表しているが、ランディがソロのプロジェクト“アイアン・ホース”と掛け持ちしていたためか、あまり積極的な活動はしていない。
その後88年ティムが脱退すると、やはり元メンバーのブレア・ソーントン(g)とロビー・バックマン(ds)も引き戻し、黄金期のメンバーが戻ったが、91年今度はランディがまたもや脱退。
この黄金期のメンバーではアルバムは残していないが、当時すでにアルバム用にスタジオ録音し終わっていたという話なので、後日発売される日が来るかも知れない・・・。
ランディの脱退でまたもや苦境にたたされた彼らであったが、バンド続行を決意し、Randy Murrayランディ・マーリー(g)を加えて現在も活動中。96年にこのメンバーによるアルバムもリリースした。
2001年現在B.T.O.のオリジナル・アルバムは1〜4作目までは再発売されCD化されていたが、「ヘッド・オン」以降のものはずっと廃盤状態だった。やはりコアなファンの間では、ポップ路線のBTOは認めないということなのだろうか。しかし2003年ついに「ヘッド・オン」のみ豪華デジパック仕様で再発売された。ランディ時代のアルバムはあと「爆走フリーウェイ」だけ、ぜひともこちらも再発してもらいたい。(HINE) 2004.2
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