第6章 アメリカン・ロックの復権とクロス・オーヴァー(70年代半ば)

1.ウエスト・コースト・ロック
 70年代前半、アメリカのロックは完全にイギリスに遅れをとり、世界規模で活躍するスターは極端に減った。当時全盛を極めていたハードロックでは、唯一グランド・ファンク・レイルロード(GFR)が対抗馬として奮闘していたが、プログレにいたっては皆無の状況であった。
 しかし、アメリカ国内では、独自のブルージィなサウンドを展開するサザンロックや、カントリーとハードロックを融合させたウエスト・コースト・ロックが大きな人気を呼んでいた。
 70年代半ばになると、そのウエスト・コースト・ロックの中から、世界に通用する素晴らしいサウンドへと大きな変貌を遂げた2つのバンドが出現する。その1つは、メンバーチェンジによってハードさを強めたイーグルス(右写真)で、75年に「呪われた夜」、76年に「ホテル・カリフォルニア」を連続で全米1位に送り込み、世界中にその名を轟かせた。もう1つのバンドは、75年に初の全米No.1シングル「ブラック・ウォーター」を放ったドゥービー・ブラザーズで、彼らもまた激しいメンバーチェンジで、R&Bやジャズっぽいフィーリングをも身につけ、大成功を収めてゆく。

2.ブリティッシュ・ハード最後の大物とアメリカン・ハードの2大巨頭出現
 70年代半ばになると、隆盛を極めたブリティッシュ・ハード勢も、ほぼすべてのサウンド・アプローチをやり尽くし、新鮮さを欠いて往年のパワーを失っていった。そんな中、全くそれまでにない独創的なサウンドで、ブリティッシュ最後の砦として頭角を現したのがクイーンだった。オペラ・ロックと呼ばれる彼らのサウンドは、楽曲、演奏技術、録音技術、歌唱力、完璧なハーモニーなど、すべてが最高水準で、まさに芸術的であった。75年に発表された4枚目のアルバム「オペラ座の夜」は全英1位/全米4位に輝き、そこからのシングルは、前代未聞の6分にも及ぶ大作「ボヘミアン・ラプソディ」で、9週連続全英1位という史上に残る大ヒットを記録した。
 同じ頃アメリカでも、やっとイギリス勢に真っ向から対抗できるハードロック界のビッグ・スターが現れた。エアロスミスキッスである。ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ/vo)のアメリカ版とも言えるスティーヴン・タイラー(エアロスミス/vo)の爬虫類のような大きな口は、まるでロックを歌うために生まれてきたかのようで、ブリティッシュ勢が忘れてしまったワイルドさを強烈にアピールした。また、アメリカ版グラム・ロックとでも形容したくなるような、ケバケバ・メイクと度派手コスチュームで登場したキッスも、ストレートでポップなハードロック・サウンドでビッグ・ヒットを連発。一躍クイーンと肩を並べるほどの存在となり、アメリカのハード・ロックもイギリスと同じレベルに達したことを強く印象づけた。
(上写真は左からエアロスミスのスティ-ヴン・タイラー&ジョー・ペリーとキッスのポール・スタンレー&ジーン・シモンズ)

3.クロス・オーヴァー
 70年代以降、一貫してジャズやR&B、ファンクなど、黒っぽいサウンドを取り入れてきたジェフ・ベック(右写真)は、ついに75年にリリースした、全面インストゥルメンタル・アルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」で、ロック側からのジャズ・クロスオーヴァー・サウンドを完成させ大成功を収める。
 一方アメリカでも、スティーリーダンによって、こちらはヴォーカル入りで、ジャズ・エッセンスを加えたロックが追求されていたが、76年にリリースした「幻想の摩天楼(The Royal Scam)」で、ほぼ完成の域に達した。
 これらのサウンド・アプローチは、70年代初頭に謳歌していたジャズ・ロックとは根本的に違うもので、あくまでもロック・ビートの中にジャス的エッセンスを加えていこうとするもので、クロス・オーヴァーと名付けられた。
 こういったサウンドは、すでに60年代末からジャズ界の帝王マイルス・デイヴィスらによって試行錯誤が繰り返されていたが、ジェフ・ベックとスティーリー・ダンのポップス界を揺るがすような大成功とクインシー・ジョーンズ一派の大活躍によって、以降急激に音楽界全体を巻き込む一大ブームとなっていった。そこで後には、これらを1つの音楽ジャンルと認め、フュージョンという名前がつけられた。

4.プログレの衰退
 プログレ界の大物バンドが解散したり、メンバー・チェンジによって勢いを失いつつある頃、代わって登場してきたのは、スーパー・トランプ10ccキャラヴァン(左のジャケットはキャラヴァンの代表作「ロッキン・コンチェルト」)といったポップ色の強いプログレ系バンド達だった(これらのバンドは、 当時プログレの一種に区分けされていたが、サウンド的には後に登場するアメリカン・プログレに近いものがあった)。
 こういった新しい方向性のバンド達の成功により、既に音楽的な行き詰まりを感じていたテクニカル系プログレ・バンド達は、こぞってポップ寄りのサウンドへ追従した。だが、その多くは本来の持ち味を失い、さらに状態を悪化させていくだけであった。
 75年前後には、叙情派プログレの代表バンド達もサウンド的にピーク期を迎え、以降同じようにポップ化への道を歩み、多くは成功することなく衰退する。その後80年代にマリリオンらネオ・プログレッシヴを掲げた連中が現れるまで、プログレが再びロック界のメインストリームへ位置することはない。