第5章 ビジュアル系と女性ロッカーの台頭(70年代初期〜70年代中期)

1.グラム・ロック
 
60年代からミュージシャンとして活動するが、まったく芽が出ず、パッとしなかったデヴィット・ボウイ(右写真)は、いつしか演劇の世界へと足を踏み入れる。しかし、そこで出逢った、やはり売れないミュージシャンのマーク・ボラン(T・レックス/vo)と共に、この後ロック界全体を揺さぶる一大旋風を巻き起こすことになるのだった。
 グラム・ロックのグラムとは=Glamorous=魅惑的なという意味だ。その特徴は、きらびやかで派手な衣装や中性的な化粧、演劇的なステージ・・・すなわちこの2人の特徴でもある。2人は70年代初頭より、ほぼ時を同じくして頭角を現し、ルックスなどのビジュアル面とポップなサウンドにより大成功を収め、あっという間に全英大ヒットを連発する大物スターになっていた。
 この2人の成功は、音楽業界全体にもかなりの衝撃を与え、レコード会社はこぞって、お抱えアーティスト達に彼らのマネをさせ売り込もうとした。その中から出てきたロック・スターには、スイートスレイド、マイケル・デ・バレス(シルヴァーヘッド/vo)といった、真の実力を持ち合わせていた者達もいた。

2.真の女性ロッカー出現
 ロック界では、60年代にもジャニス・ジョップリングレース・スリック(ジェファーソン・エアプレイン/vo)といった、女性ヴォーリストがすでに活躍していた。しかし、彼女達はいずれもR&Bを音楽ルーツとしたシンガーで、本当の意味でのロッカーとは言い難く、ロック伴奏の中で唄うR&Bシンガーといったイメージが強かった。もちろん彼女たちがロック界に女性進出のための足がかりを作った功績は大きいが、デビュー前からロッカーとして鍛え上げられ、ワイルドな言動とルックス、ドスの利いたハスキー・ヴォイスと確かな歌唱力で男どもをぶちのめしたスージー・クワトロ(左写真)こそ、初の生粋な女性ロッカーと言えよう。
 また、スージーはヴォーカルだけでなく、女性にはめずらしいベース・ギターも弾きこなした。このスージーに憧れ、その後ランナウェイズをはじめとする女性ロック・バンドが続々と誕生していくことになる。

3.ブリティッシュ・ロックの全盛期
 70年代の初期から半ばにかけて、イギリスのロックはものすごい勢いで進化し、隆盛を極める。この時期のイギリスには、ヘヴィ・メタル・キッズアトミック・ルースタークォターマスカーヴド・エアジェントル・ジャイアントなど、いわゆる「中堅ロック」と言われるマイナーだが優秀なバンドも数多くデビューし、そのほとんどは有名になることなく消えていったのだが、そういった層の厚さがブリティッシュ・ロックを根底から支え、高い音楽性となってロック界を牽引していたのだ。事実ハードロックやプログレに限っては、この時期アメリカのマーケットでもブリティッシュ勢がほぼ独占状態を続け、特にレッド・ツェッペリン(71年「IV」は現在までのトータル1600万枚/全米ロック・アルバム・セールス1位)やジェスロ・タル(72年「Thick As A Brick」、73年「A Passion Play」2枚連続全米No.1)、ピンク・フロイド(73年「狂気」は全米チャート150位以内に15年間ランク・イン)などのアルバムは、ことごとく凄まじいセールスを記録していた。
 いまだに「ブリティッシュ・ハード」が最高だとか、「ブリティッシュ以外はプログレと呼ばない」などと言っている人達をよく見かけるが、そのほとんどは、この時期からロック・ファンになった熱狂的なブリティッシュ信者だ。

4.ガレージ・バンド
 60年代末から70年代初頭にかけて、アメリカでは急激に進化するブリティッシュ勢の勢いには付いていけず、多くはガレージで練習を始めたような、粗雑な3コード(ロックンロールの基本的曲進行パターン)の演奏をしているようなバンドが数多く存在していた。しかし、こちらの方が、純粋に本来のロックのエネルギーを持っていたことも確かで、後にこれらのバンド達は、パンクやアメリカン・ハードの原型となっていったのだ。
 70年代には、これらのガレージ・バンドも再評価され、MC5アンボイ・デュークス(写真左)、ブルー・チアーストゥージズヴァルヴァット・アンダーグラウンドなどは、後々まで影響力を発揮することになる。
 当時アメリカではこれらのバンド達をパンクと呼んでいたが、今では後に出現するニューヨーク・パンクやロンドン・パンクと区別するために、プロト・パンクと呼んでいる。