第3章 サイケデリック(1960年代後半)

1.ドラッグとロック
 サイケデリック
という言葉の語源は、精神科医H・オズモンドが考案した、LSD(幻覚剤)の大量投与による人格解放の画期的療法、サイケデリック・セラピーで、その後芸術家達の創造力を高める奇跡の薬だとして、LSDは画家やミュージシャンの間にも広まっていった。
 一方、その頃ヒッピー(50年代の「ヒップスター」というビート・ジェネレイションが語源になっている)と呼ばれる、既成の価値観を拒否し放浪をつづける人々が現れ、アメリカのサンフランシスコを中心に、ベトナム戦争反対やマリファナ解禁などを訴える運動を起こし始めた。いわゆる「ラヴ&ピース」を掲げたフラワー・ムーブメントだ。彼らはサイケデリックと結びつき1つの文化を生みだしていった。その中心地で生まれたロックの代表的なバンドが、グレイトフル・デッドジェファーソン・エアプレインだった。(左写真は代表的なヒッピー・スタイル、右はサイケデリック・ペイント)

2.サイケデリック・ロック
 サイケデリック期のロックは、当初は上の2バンドのような、歌詞の題材に社会問題を取り上げたものなど多かったが、しだいにエスカレートすると、極端に内的破壊力を持つドアーズやパフォーマンス自体が破壊的なジミ・ヘンドリックスなど、本来のサイケデリック運動の意味とはまったく関係のない、ドラッグによる幻覚症状自体をテーマにしたようなロックが激増した。
 1967年、ビートルズがこのサイケデリックをモチーフにしたトータル・アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発表したことにより、サイケは一挙に世界中にも広まり、ロックのみならず、あらゆる音楽がアシッド(LSD)に汚染された。これらを総称してアシッド・サウンドという。

3.ウッドストック・フェスティバル
 60年代後半には、ロック系のアーチスト達が大きな音楽フェスティバルに大挙して参加するようになり、過激なパフォーマンスで数々の伝説を築き上げていった。中でも有名なのは、65年のニューポート・フォーク・フェスティバル、67年のモンタレー・ポップ・フェスティバル、69年のウッドストック・フェスティバルなどだろう。いずれも本来はロック専門のお祭りではなかったが、目立ち度では、他のジャンルのアーチスト達を圧倒し、終わってみれば「ロックの祭典」と化していた。(右写真はウッドストックの会場風景)
 また、ちょうどサイケデリック・ブームの真っ只中に重なったウッドストック・フェスティバルでは、ヒッピー達が何十万人と集まり、音楽史上最高の盛り上がりをみせた。そこでトリを務めたのがジミ・ヘンドリックスで、アメリカ国家を演奏後、ギターに火を付けるパフォーマンスで一躍有名になった。

4.ロックの3大ギタリストと1人の革命児
 すでにロック界では知らぬ人がいないくらいのスーパー・ギタリストだったクラプトンベックに加え、同じヤード・バーズ出身のギタリスト、ジミー・ペイジレッド・ツェッペリンを結成して頭角を現した。そして、この3人は同じ出身バンドであったことから、「ロックの3大ギタリスト」と呼ばれるようになっていた。さらに、その1人クラプトンをして、「オレとジェフが束になってかかってもかなわない」と言わせたジミ・ヘンドリックス(写真左)は、歯や頭の上でギターを弾いたり、ギターを床に叩きつけて壊す、火を付けて燃やすなどという過激さで、ロック界にライブ・パフォーマンスの革命を巻き起こした。
 彼ら達の大活躍によって、ギタリストの地位はバンド内でますます増大し、上手いギタリストが在籍していないバンドは売れないという図式まで作り上げてしまった。いわゆる「ギタリスト花形時代」の到来だ。

5.アート・ロック
 サイケデリック・ブーム末期になると、ロックは実験的に様々なジャンルの音楽と組み合わされ、しだいに難解なサウンドが時代の潮流となっていった。リスナーの方もそういったものに慣れ、芸術性や音楽性の高いアーチストを好むようになっていった。そこでレコード会社は、これらの新種をひとまとめにしてアート・ロックと名付け、大キャンペーンをはって売り込もうとした。その代表的なアーチストは、クリームジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンヴァニラ・ファッジレッド・ツェッペリンアイアン・バタフライシカゴブラッド・スウェット&ティアーズなどである。
 しかし、これらのアーチスト達は、しだいに2つの大きな方向性に分かれ発展してゆくことになる。それが70年代初頭に隆盛を極めるハード・ロックプログレッシヴ・ロックであった。
 特にメンバー3人が互いに競い合い、大音量で演奏バトルを繰り広げたクリームと、過激パフォーマンスでライブ演奏に革命を起こしたジミ・ヘンドリックスは、ハードロックの基本スタイルとして多くのロッカー達の手本となっていった。(右写真はハードロックへの橋渡し的活躍をしたクリームの代表曲シングル)