第2章 ロック誕生(1960年代)

1.ブリティッシュ・ビートの流行

 60年代初頭、イギリスでもロックンロールが盛んに演奏されていたが、特にリヴァプールを中心にエレクトリック・ギターを主体としたシンプルなロック・ビートと、シャウト・スタイルのヴォーカル、ドゥ・ワップから影響を受けたと思われるバック・コーラスという共通のサウンドを持った音楽が広まっていった。また、これらのグループは、それまでのグループがほとんどの楽曲を作曲家に依頼して作ってもらっていたのに対し、オリジナル曲も持っていたという点が注目される。(写真右:この時期に活躍したアニマルズのLP)
 日本ではこういったサウンドをリヴァプール・サウンド、現地イギリスではマージー・ビートなどと呼ぶ。広義では60年代初期の全英規模の流行現象として、これらをブリティッシュ・ビートと呼んでいる。

2.ビートルズの出現とブリティッシュ・インヴェイジョン

 62年に正式デビューしたビートルズも、デビュー前やデビュー直後はまさにブリティッシュ・ビートの代表といった感じで、アメリカでは特に注目されることもなく、ファースト・アルバムがマイナー・レーベルからリリースされている。
 しかし、彼らが他のバンド達と違っていたのは、高い作曲能力を持つメンバーが2人もいたことと、あらゆる音楽を吸収・消化することによって、次々とサウンド・スタイルを変え、後に○○ロックと名付けられるサウンドの原型を創り上げていったことだ。彼らはすぐにイギリスで爆発的な人気を集めるようになり、翌年にはアメリカへもその人気が飛び火した。そしてなんと、64年には全米チャートに5曲同時ランクインという偉業を成し遂げる。これらが火付け役となって、次々と同系統のイギリスのバンドがアメリカへ上陸し、全米チャートを独占した。このブリティッシュ・ビート人気爆発現象は後にブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれるようになった。尚この現象は66年頃まで続いている。

3.アメリカン・ロックの始まり

 一方アメリカでも、当時国内で流行していたフォーク・シンガーのボブ・ディラン(左写真)がギターをアコースティックからエレクトリックに持ち替え、65年にはニューポート・フォーク・フェスティバルへポール・バターフィールド・ブルース・バンドをバックに従えて出演し話題になった。
 もっともその時は罵声を浴びせられたらしいが、その後ディランの曲をバーズタートルズシェールなどが次々とカヴァー・ヒットさせたことで、フォーク・ロックとして定着。そして、サイモンとガーファンクルママス&パパスなどの大人気グループの出現によって、アメリカ全土へ広まった。
 こういった動きはイギリスのアーチスト達にも影響を与え、ビートルズなどは積極的にこのサウンドも取り入れていた。

4.ロッカーズの敵対勢力「モッズ」

 イギリスではロックが若者に広く浸透してきた頃、革ジャン、リーゼント、バイクをこよなく愛するロックンローラー(ロッカーズ)達に対し、もっとクールで知的であろうとする集団が現れ始めた。彼らのスタイルは、一見トラッド風を着崩した洒落た装いとVespaのスクーターをこよなく愛し、音楽はザ・フーにのめり込む。またドラッグも覚醒系と決まっていて、昼間は真面目な少年少女の仮面をかぶり、晩は夜通し大暴れする。60年代初期に出現したイギリスのこのスタイルを「モッズ(Mods)」と呼び、ロックとファッションが結びついた現象として、イギリスのロック・ミュージシャン達に後々まで影響を及ぼすことになる。MODSの語源はModernistsあるいはModernsの略だと言われ、モッズ系のロッカー達は、モダン・ジャズやR&Bから発展したロックを好んだ。また、ザ・フーの他、スモール・フェイセズヤードバーズなどがモッズの代表的バンドと言われ、そのブームは65年頃までつづいた。
ちなみにファッション界での、いわゆるモッズ・ファッションは、1957年にロンドンのカーナビー・ストリートで開店したジョン・ステファンの店から広まったとされる。日本ではひと足遅く65年頃からモッズ・ファッションが登場したが、アイビー・スタイルやGS(グループ・サウンズ)ファッションと混交していたようだ。その後70年代後半、ポール・ウェラー率いるザ・ジャムが出現すると、モッズが一部でリバイバル・ブームとなった。この時のファッション・スタイルはパンクやニュー・ウェイヴと混じり合いネオ・モッズと呼ばれた。
(左写真はモッズ族の愛読雑誌「MODS」)

5.ブルースとロック

 話は前後するが、アメリカの黒人大衆音楽として、20世紀初頭から親しまれたブルースからは、優れたギタリストもたくさん輩出した。しかし、ほとんどの場合、現役時代または全盛期には日の目を見ず、その後白人リスナー達によって発見されるということが多かった。特に身近で本物のブルース音楽に接することが出来なかったイギリスでは、ブルースのギタリスト達に憧れ、ブルーノート(3音と7音が下がるブルース独特の音階)、シンコペ-ション(切分音。2小節にまたがる音を使用し、思いがけない場所にアクセントをつける)、唄の間に入る即興演奏といったブルース独特の形式を真似することが多かった。
 中でも人気があったのは、ロバート・ジョンソン、B・Bキング、T・ボーン・ウォーカー、フレディ・キング、マディ・ウォータース(右写真)などで、みな彼らのテクニックを盗み、取り入れることで、自分流のギター・スタイルを確立していった。

6.「ギターの神様」の出現

 イギリスにおいては、アメリカから渡ってきた楽器であるギター(ギターの原型はヨーロッパの弦楽器)は珍しく、ロック・バンドの中にあっても一番の人気楽器だった。当然人気のあるギターのパートは誰もがやりたがり、結果バンドで一番上手い人がギタリストとなれたわけだ。特に前記のブルースを上手く弾きこなせる人は名ギタリストと崇めたてられた。
 60年代半ばになると、その中でも、さらに並はずれた腕前を持つスーパー・ギタリストが登場し、一気にギターとブルースロックがブームとなってゆく。ロック界で最初に天才ギタリストとしてその名を轟かせたのは、今も尚現役のエリック・クラプトンである。ブルース・ギタリストの中でも、トリッキーなプレイのフレディ・キングから多くを学んだクラプトンは、チョーキング・ビブラート
(注1)やヴァイオリン奏法(注2)といった、ロック・ギターの基礎中の基礎となるテクニックを広めた張本人なのだ。それだけでなく、クラプトンはライヴ演奏で、何十分でも観衆を飽きさせることなくソロを弾きまくることができる、類い希なる才能の持ち主で、そのアドリヴ・センスの良さは、まさに神業であった。いつしかクラプトンは「ギターの神様」と呼ばれるスーパー・スターとなっていった。
その少し後には、今度はレス・ポールやチェット・アトキンスなどジャズ系・カントリー系のギタリストからインフルエンスを受けたジェフ・ベックが登場し、その独創的で圧倒的なテクニックに他のギタリスト達は驚愕した。初期のベックが奏法として初めて完成させ有名なったものにフィードバック奏法
(注3)がある。
以来この2人のギター・スタイルは、ロック・ギターの手本として、すべてのギタリスト達に何らかの影響を及ぼしている。

(注1)弦楽器は通常、弦を押さえた指を左右に揺らしビブラートをかけるが、クラプトンの場合、BB・キングなどがやっていた、弦を指で上下に引っ張るチョーキングを取り入れ、そのまま細かく上下動させてビブラートをかけた。現在のロック・ギターでは当たり前のテクニックだが、当時の他のギタリスト達はどうやって弾いているのかわからず、ライブで見てビックリしたという。
(注2)まだフット・ペダル(足で踏むアタッチメント)が無い頃、ギター本体に付いているボリュームつまみを小指で回しながら弾き、バイオリンの音のような効果を出した。ジェフ・ベックはさらにトーン・スイッチまでいっしょに回すという神業を平然とやってのけていた。現在ではボリューム・ペダルを使用するため、そういった職人芸はみられなくなったが、奏法としては今でも生きている。
(注3)これも今では珍しくない奏法だが、ギターをわざとアンプに近づけ、ハウリングのような共鳴音を引き出す。これをうまくコントロールすることによって、通常音が響いている長さより長く音を延ばしたり、キンキンした高音を出すことができる。この奏法を取り入れ、派手にやって有名になったアーチストに、ジミ・ヘンドリックスやカルロス・サンタナがいる。