第11章 NWOBHMとLAメタル(80年代初頭〜半ば)

1.ハードロックのニュー・ウェイヴ
 ヘヴィ・メタル
という言葉自体は、語源は米国の作家ウイリアム・バロウズだとか、スッテペン・ウルフの「ワイルドで行こう!(Born To Be Wild)」の中で歌われたのが最初だとか言われているが、実際にヘヴィ・メタルの特徴をもったサウンドが現れだしたのは、70年代の半ば頃からだ。ヘヴィ・メタル(ヘヴィメタ)すなわち、全盛期のハードロックの特徴をデフォルメしたサウンドは、ハードロックを聴きながら育った第二世代のためのハードロックであり、ハードロック版ニューウェイヴとも言える。
 ヘヴィメタ系バンド達が模範とするサウンドとは、ツェッペリン、パープル、サバスといったハードロックの王道を突き進んだ70年代初頭のビッグ・スター達のヘヴィ・ナンバーであり、実際ツェッペリンなどは、現役時代後期すでにヘヴィ・メタル・ロックの王者と呼ばれていた。そして、70年代半ば、ジューダス・プリーストの台頭により、1つのサブ・ジャンルとしてヘヴィ・メタルが確立されたと言えるだろう。ブリティッシュ・ハードの後継者として74年にデビューしたジューダス・プリーストは、最初からオリジナリティを追求するよりも黄金期のハードロックの格好良さをどんどん取り入ることに専念し、76年に発表したセカンド・アルバム「運命の翼」(左上ジャケット写真)で、ほぼヘヴィ・メタル・サウンドの原型を完成させた。同じ頃アメリカでも、ガレージ・ロックから発展したヘヴィ・サウンドをさらに進化させたブルー・オイスター・カルトが、ヘヴィ・メタルの祖として活躍する。

2.NWOBHM
 イギリスでは70年代後半、パンク&ニュー・ウェイヴ一色に染まり、それまでのロックは皆、衰退の一途をたどっていった。中でもハードロックは、旧世代の代表としてオールドウェイヴの烙印を押され、マーケット上での衰退が著しかった。
 しかし、こういったパンク・ブームを善しとしないハードロック・ファン達は、70年代末期頃になると、ついに立ち上がり「聞くものがないなら自分たちで演ってやる!」とばかりに、次々とバンドを結成しアンダーグラウンドで活動を始めた。その後、その中の1つ、ロンドンのインディーズ市場で絶大な人気を得ていたアイアン・メイデン(右写真)が80年にメジャー・デビューすることによって、しだいにヘヴィメタル人気はムーブメントの様相を呈し、80年代半ば頃までには、音楽シーン全体をも揺るがすような一大ブームとなっていった。彼らは、オールド・ウェイヴと言われることに反発し、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)の名の下に集結。古き良き時代のブリティッシュ・ハードを近代風に再現した。この時期活躍したNWOBHMのバンドには、デフ・レパードワイルド・ホーシズMSG(マイケル・シェンカー・グループ)、タイガース・オブ・パンタンサクソンなどがいた。

5.Do They No It's Christmas?とUSA for Africa
 
84年、イギリスでブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフ(vo)とウルトラヴォックスのミッジ・ユーロ(vo,g)の提唱により、アフリカ飢餓難民救済のためシングル「ドゥ・ゼイ・ノー・イッツ・クリスマス?」をバンドエイドというイギリスのオールスタープロジェクトで録音。このプロジェクトには、ロック界からも先の2人の他、ニュー・ウェイヴ&ニュー・ロマンティックス系のミュージシャンが数多く参加し、シングルはヨーロッパを中心に大ヒットした。
 これを受けて、翌年アメリカでも、クインシー・ジョーンズらを中心に、エチオピア飢餓難民救済プロジェクト「USAフォー・アフリカ」を発足。アメリカのオールスターによるシングル「ウィ・アー・ザ・ワールド」を発表し見事全米1位に輝いた。さらにこの2つのプロジェクトから発展したライヴ・エイドが同年イギリスとアメリカの両会場を使って同時に開催され、全世界に衛星生中継された。
 しかしこの一大イベントは、結果的に80年代初頭から始まったニュー・ウェイヴ・ブームの締めくくり的な側面もあり、ライヴエイドで一時的に復活したレッド・ツェッペリンや低迷していたクイーンなどの人気を再び盛り上げ、ヘヴィロックの復活を予感させるものとなった。そして86年には、ヘヴィ・メタル版バンド・エイド「ヒア・アンド・エイド」がロニー・ジェイムスディオ(レインボー〜DIO〜ブラック・サバス/vo)の提唱により実現。ロック界は一気にヘヴィ・メタル・ブームへと加速することになる。(上の写真はHEAR 'N' AIDに参加した面々)

3.LAメタル・ブーム到来
 80年代前半、イギリスで再び勢いを取り戻したヘヴィ・ロックは、しだいにロニー・ジェイムスディオが加入したブラック・サバスやイアン・ギラン(元ディープ・パープル/vo)率いるギランオジー・オズボーン(元ブラック・サバス/vo)、ゲーリー・ムーア(元コラシアムII〜シン・リジィ/g)、モーター・ヘッドなどのベテラン勢や、オーストラリアのAC/DC、フランスのトラスト、ドイツのスコーピオンズなど世界各国のヘヴィメタ系バンドも巻き込んで、80年代半ば頃には、ついに北米市場へも影響を及ぼすまでに成長する。日本からもこの時期、和製メタルの牽引者ラウドネスがアメリカ・デビューを果たし大活躍した。
 全米へ渡ったヘヴィ・メタルは、モトリー・クルーガンズ・アンド・ローゼズ(右写真)といったアメリカのビッグ・スターが出現することよって一気に人気が爆発。その後もたくさんのフォロワーが続々と登場した。中でもロサンゼルスから、ラット、ドッケン、W.A.S.P.、グレイト・ホワイトなどの人気バンドが多く出たことから、これらをL.A.メタルと呼ぶようになり、以降アメリカ全土へ広がったヘヴィメタル・ブームは、L.Aメタル・ブームと共に栄枯盛衰するのであった。
 また、このブームにのったレコード会社の策略で、ハード・ロックまでもが「HR/HM」という具合に一緒くたにされて強力に売り出され、ボンジョヴィホワイトスネイクといった、ヘヴィメタルとは一線を画すバンドまでもが頭角を現すのであった。やがてこれらのメロディアス・ハード&メロディック・メタル・バンド達は、ヘヴィ・メタルに取って代わる存在となる。

4.ネオ・プログレッシヴ
 ヘヴィ・メタル・ブームと時を同じくして、プログレもまた新しい世代の活躍により息を吹き返していた。こちらはヘヴィ・メタルのように派手なブームにはならなかったが、宗教的な広がりをみせ、マニアックな世界を形成した。特にネオ・プログレッシヴの旗手と騒がれたマリリオンの出現以降は、世界各国で細々と活動していたプログレ・バンドも脚光を浴びることとなり、ヨーロッパ諸国の他、アメリカや南米にまで注目が集まった。また、すでに「プログレッシヴ=革新的」という言葉が当てはまらない、古いプログレ・サウンドの様式美を踏襲したこれらのバンド達の音楽は、プログレのニュー・ウェイヴという意味も込めPomp Rockポンプ・ロックと呼ばれるようになっていった。この時期活躍したポンプ・ロック・バンドは他に、ペンドラゴンイッツ・バイツ、CASTなどがいる。(左写真はvo.がスティーヴ・ホガースに替わり、ニュー・ウェイヴ色を強めていったマリリオン)