お薦め名盤Vol.8(JAZZY&FUNKY) ドリーム・カム・トゥルー/アール・クルー 1980年 GP3225◆Blue Note/キング・レコード
激しい音楽に疲れたら、たまにはこんなのもいい。70年代の終わりから80年代初頭のまさにフュージョン・ミュージック全盛時代、アコースティック(クラシック)・ギター1本であらゆる可能性に挑んだ異色のギター・プレイヤーがアール・クルーだ。 1953年米ミシガン州デトロイト生まれのクルーは、10歳の頃からギターを弾きはじめ、チェット・アトキンスやローリンド・アルメイダのギターを熱心に聞きコピーしていたという。また、彼が子供の頃はフォーク・ブームだったとこもあり、最初からエレクトリックよりアコースティック・ギターが好きだったらしい。 その後15歳ぐらいの時から本格的にバンドで演奏するようになり、17歳の時ジャズ&フュージョン界のスーパースター、ジョージ・ベンソン(g,vo)と出逢ったことから世界的ミュージシャンとしての道が開けていった。ベンソン師匠のもとでしばらくバンドのメンバーとして修行を積んだ後、1974年にはチック・コリア(Key)率いるリターントゥー・フォーエバーへ加入(1年ほと在籍したがアルバムへの参加はなし)。 こうしてジャズ界でメキメキと頭角を表したクルーは、1976年にデイヴ・グルーシン(key)のプロデュースのもと、リー・リトナー(g)やルイス・ジョンソン(b)の協力も得てソロ・デビューすることになる。すぐに業界内では彼のプレイが話題になり、続々と彼の元へ優秀なミュージシャン達が集まるようになっていった。しばらくして、クルー自らがアルバム・プロデュースを手がけるようになってからも、ベンソン師匠や、グルーシンの惜しみない協力は続き、ついに5枚目の「ハートストリング」がビルボード誌の上位にランク・インされ、ロングラン・ヒットを記録するまでになる。 そして、クルーがゲスト参加したボブ・ジェームス(key)の「ワン・オン・ワン」も同時期にジャズ・チャートのトップに輝く大成功を収め、ノリにノッている中で本作「ドリーム・カム・トゥルー」がリリースされた。 さて、このアルバムの内容だが、前作「ハートストリング」からのオーケストラ導入路線は継続し、よりポップでファンキー色が強くなっている。特に曲の良さはクルーの全アルバム中でもベストと思われるほど名曲がいっぱい詰まっている。おそらく何曲かは、みなさんもTVのバック・グラウンド・ミュージックなどでご存じだろう。 A-1は、アップ・テンポでノリのよいナンバーで、クルーのカントリーやジャズなど幅広いテクを駆使したギターが堪能できる。1曲目としてはこれ以上ない選曲だろう。 一転してA-2は静かながらメイン・メロディー・ラインのキーボードが印象的な曲。この曲はかつて日本でもTV番組(日本テレビ「ルックルックこんにちは」)のオープニング・テーマ・ソングとしても使われていたので有名だろう。 そして本作の意欲作であるA-3は、ルイス・ジョンソンと並ぶチョッパー・ベースの名手マーカス・ミラーがゲスト参加したハイ・テンポでファンキーな曲。こういったファンキー・アプローチは、次のアルバムへの布石とも言えるもので、実際にも以降2枚のアルバムは、ルイス・ジョンソンを再び起用し、非常にファンキー寄りのアプローチを示していた。 また、B-1でも珍しくシンセ・ベースを使用したファンキーなナンバーが聞ける。 その他は「いつものアール・クルー」といったイメージで美しい佳作ばかりだが、特にタイトル曲でもあるB-3は、素晴らしい曲と見事な演奏で彼の代表曲と言っても過言ではないだろう。この曲も日本でTVの天気予報のバック・ミュージックとしてかなり長い間使われていたことがある。 本作はCD化も一度はされたことがあるが、こんなにすばらしい内容でセールス的も当時はかなり良かったにも関わらず現在は廃盤という状況だ。大型の外資系CD店へ行っても、フュージョン・コーナー自体がかなり縮小され、現在ではジャズ・コーナーの片隅にひっそりと置かれているだけだ。この状況は、フュージョン・ミュージックがロック以上に厳しい状態にあり、絶滅の危機に瀕していることを物語っている。かつてのフュージョン界のスター・プレイヤー達は、こぞってもろジャズ傾向にあり、かなりオーソドックスなスタイルへと時代を逆流している。 |